2012年04月25日

夫のドッペルゲンガーが来た

夫のドッペルゲンガーが来た

 私の夫は、自分がドッペルゲンガーだと主張していた。

 ドッペルゲンガー。もう一人の自分。自分そっくりに化ける怪物がいて、本人がそれに出会うと恐怖で死ぬ。

 はじめは周囲の人間の前に姿を見せる。それは警告なのだ。本人が出会わないよう気をつけろということだ。

 でも周囲の人間が、本人にどこそこで見かけたと言えば本人はおびえる。なにせ自分がいないはずの場所で自分を見たと言う人間が何人もいるのだ。もう一人の自分、ドッペルゲンガーがいる恐怖におびえる。

 そうではない場合、ドッペルゲンガーなんてみんなのうそだと言う場合、そのほうがより現実的で、より恐ろしいことなのだ。

 自分の周囲の人たちがみな同じことを口にする。どこで自分を見かけた。声をかけても無視して通り過ぎて言ったと言う。そこにはいなかったのに、いたと言われたあげく何で無視したと責められる。

 ドッペルゲンガーは話をしない。姿を見せても誰にも気づいていないかのように通り過ぎる。話をして、本人では無いということがばれないようにしている。

 自分の周囲の人間、身近な人たちが、みんなで自分をだまそうとする。自分にうそをつく。自分を怖がらせようとする。

 一部の人間のいたずらならいい。でもそれぞれつながりがないような、友人、家族、会社の同僚などがみな一様に自分を見たと言う。お互いにつながりが無い人間までもが口裏をあわせ一緒に自分を追いつめようとする。

 それはどれほどの脅威だろう。悪意だろう。恐怖だろう。

 自分は何かしたのか。何もしていない。身近な人間たちに一斉に恨まれこのような嫌がらせをされる覚えは無い。

 彼らが連帯して自分を追いつめる。裏でみんな繋がっている。ありえないほどの連帯感。どうやって知り合ったのだ。自分の知り合いすべてがどうやって繋がったのだ。

 その全てが自分を追いつめる。彼らはみな自分を恨んでいる。

 なぜだろう。わからない。心当たりが無い。

 でもきっと、自分が悪いのだ。優しかったあの人も、仲のよかったあの人も、自分の親も兄弟も恋人も、みんな自分を恨んでこんな嫌がらせをしてくるのだ。

 誰もが繋がっている。誰も信用できない。相談できない。頼れない。

 誰もが自分を恨んでいる。嫌がらせをしてくる。辛い。苦しい。自分は孤独だ。

 ひとりぼっちで誰にも心を許せない。追いつめられた人間は最後には気が狂って自殺する。

 これがドッペルゲンガーの恐怖だ。だからもしドッペルゲンガーを見かけても本人に言ってはいけない。

 しかしドッペルゲンガーが周囲の人間の前に姿を見せるのは警告なのだ。自分と本人が会ったら本人は死んでしまう。だからそうならないように本人に警告してくれというメッセージなのだ。

 ドッペルゲンガーは心優しい怪物なのだ。本人を殺す気なんてない。そうならないよう周囲の人間に警告しているのだ。自分を見たと伝えて欲しいのだ。

 しかし周囲の人間がそれを本人に伝えると、本人は自分が身近な人間全てに恨まれ嫌がらせをされていると感じ、やがて自殺に至る。

 本人に伝えないと、警告が届かずいずれ本人とドッペルゲンガーが出会ってしまう。

 自分がもう一人いて、それを目の当たりにしてしまう。その恐怖に耐えられる人間はいない。恐怖のあまり死ぬ。

 つまり、ドッペルゲンガーを見たと伝えても、伝えなくても、どちらにせよ死ぬ。

 ドッペルゲンガーが現れた時点でもう死ぬことは避けられないのだ。

 夫は昔、とても優しかった。

 結婚前は私を優しく愛してくれた。彼のことが大好きだった。とても信頼できた。だから私は夫と結婚することにした。この人となら何があっても一緒にいたい。一生愛せる。そう確信していた。

 でも現実は残酷だった。

 結婚してから、夫は暴力をふるうようになった。家の中で、二人きりのときだけその残虐な本性を表した。

 夫が優しかったのはうそだったのだろうか。そんなはずはない。あれが演技だったなんて思えない。

 夫は他の人にはとても優しかった。結婚前は私にも同じように優しかった。今は私にだけ辛く当たる。

 優しいときと怖いときと、まるで別人のようだった。

 二重人格みたいだった。でも家庭内暴力をふるう人間はえてしてこういうものらしい。

 外では完璧に優しく立派な人間としてふるまう。暴力的な側面をほんのわずかも見せない。

 家の中、二人きりになったときだけ暴力的になる。そのときは優しい側面をほんのわずかも見せない。

 二重人格ではない。ただはっきりと演じ分けられる。演技ではなく本気なのだ。スイッチを切り替えるように、別人になりきり、本人もそう思いこむ。

 普通の人は自分のよい面も悪い面も混ざっている。優しい人でも怒るとき人が変わったように怒る。でもそれは、同じ人間の一面として混ざりあっている。

 それを完全に分離して表す人間がいる。普段は完璧に抑圧するせいで、爆発すると逆にそれだけになる。だから暴力が尋常でないほど過激になる。ためこんだものを一気に解放するから激しくなる。

 普通の人なら混ざりあっている様々な側面を、相手によって完全に使い分ける。極端な人間が世の中にはいるのだ。

 これは恐怖からくると言われる。他人に自分の悪い面、駄目な面を少しも見せられない。見せたら幻滅される。見放される。嫌われる。そうおびえているのだ。

 その恐怖のあまり完全に悪い面を抑制する。だから外面がすごくいい。他人に対してただの一度も悪い面を見せようとはしない。

 当然、そんな無理をすればストレスが溜まる。表に出せない感情を吐き出さないではいられない。

 結婚したとたん妻に暴力をふるうのはそのためだ。

 結婚し、縛り付けた。結婚という名の鎖によって逃げられないようにした。

 家では夫婦二人きり。家という名の檻に閉じこめた。

 檻に閉じこめ、鎖で縛り、二人きり。他には誰もいない。ばれることはない。完璧な状況がそろった。押さえつけていた全てを解放することがようやく可能になった。

 外では完璧に優しく立派な人間としてふるまっている。何年も、ただの一度もぼろを出さなかった。

 周囲の人間に完全に信用されている。誰一人疑う者はいない。妻が周囲の人間に、夫に暴力を振るわれていると訴えても信用する者はいない。

 完全な信用を築き上げた夫と完全ではない普通の妻。どちらの言い分を信じるかと言えば夫の方だった。妻が夫を貶めようとしているとしか思えなかった。

 暴力の痕を見せても通じない。妻が悪い男と浮気して殴られているのだと言われる始末。あの夫が、間違っても暴力を振るうわけがない。あの夫なら、絶対に妻を殴ったりしないと言い切れる。

 夫は普段は優しい。でも私に暴力をふるうときは人が変わったように怖い。

 ずっと暴力だけなら嫌いになれるかもしれない。でも普段は、結婚前と変わらず優しいのだ。

 夫をそこまで苦しめるものは何なのか。わからない。でも不満をずっとため込んで、それを発散することを知らなかったのだ。こういう形でしか発散できない不器用な人なのだ。

 夫を愛している。夫に暴力をふるわれるのは辛い。でもそれで夫がストレスを発散できるのなら。私は夫の暴力を受けることで、夫を支えられることを誇りにさえ思っていた。妻である自分にしか務まらない役目だとうぬぼれていた。

 ただ夫は私を抱いてくれない。夫は結婚してすぐ私に暴力をふるうようになった。そしてすぐに浮気するようになった。

 夫は会社の女と浮気している。私を殴りながらその女の自慢をした。その女のよさをべらべら話し、いかに私が使えない女かを力説した。

 私みたいな女として劣る奴を二度と抱きたくないと言った。駄目な女のくせに浅ましくも抱いて欲しがる私を殴ってしつけてやっていると言う。

 とても辛かった。女であることを否定された。結婚したばかりで抱いて欲しくてうずく身体を満たしてはもらえなかった。抱いてもらえないから子供もできない。子供が欲しかったのに、愛する夫の子供をいくら切望してもその願いはかなえられない。

 私がいけなかったのだろうか。他の女の身体よりも劣るのだろうか。結婚前はあんなにたくさん抱いてくれたのに。他の女のほうがいいから私の身体はもう用済みなのだろうか。

 泣いた。悲しかった。

 女として求めてもらえない。妻として子供を産ませてもらえない。暴力をふるわれ人間として見てもらえない。

 それでも、暴力をふるい、ののしり、浮気するとき以外の夫は優しかった。他人にするのと同じように、私に優しくふるまった。

 優しいときは、私は他人と同じだった。妻とは見てもらえない。私があの人の妻になれるのは、暴力をふるわれているときだけだった。だからこれだけが妻の証なのだ。夫に暴力をふるわれることだけが、私が夫にしてあげられる妻としての役目なのだ。

 抱いてもらえない。産ませてもらえない。暴力をふるわれる。それが私の全てだった。

 私はそれでも夫を愛していた。夫に必要とされることに喜びを感じていた。辛いことを全て我慢してでも夫のそばにいさせてほしかった。私は不幸だったけれど、望んでこの生活を続けていた。


 あの日からそれが変わった。夫のドッペルゲンガーだと名乗る、あの人に出会ってから私は本当の幸せを手に入れた。

 金曜日。夫は帰ってこない。会社にいる浮気相手の女の家に泊まってくる。

 夫は私を殴るとき、その女の自慢をした。だから普段は会社でその女を抱くが、金曜日はその女の家に泊まることも話していた。

 この不況で、夫の会社も仕事が無い。土日は休みで休日出勤はまったく無い。残業も無い。夫の帰りが遅いときは、会社でその女を抱いてくるからだった。

 とても悲しかった。辛かった。浮気されるのは辛い。抱いてもらえないのは辛い。

 それでも夫と別れるなんて考えられない。あの人には私が必要なのだ。唯一殴ることのできる私が必要なのだ。浮気相手の女にその役目は務まらない。私はその優越感に浸ることで悲しみを紛らわそうとしていた。

 金曜日。私は夫が浮気相手を抱いていることを苦々しく思いながら突っ伏していた。

 突然、玄関のドアが開く音がした。

 夫が帰ってきた?

 夫は浮気相手の家にいるはず。今夜は相手の都合があわなかったのだろうか。

 それとも私のために帰ってきてくれた? 浮気相手よりも私を選んでくれた?

 また殴られるだけかもしれない。それでも私は期待に胸をときめかせながら玄関に向かった。

 そこには夫が立っていた。

「おかえりなさい」

 私はうれしくて、でもおびえながら出迎えた。いつもみたいに怒りに顔を歪ませズカズカ押し寄ってきて、髪を引っ張り廊下をひきずりまわされる恐怖に身がすくんだ。

 夫は顔をあげるとにっこりほほえんだ。

「ただいま」

 今は優しい夫だ。ほっとした。いつも浮気する金曜日に帰ってきてくれた。そのうれしさでつい口が滑った。

「今日は浮気相手の都合が悪かったの? それとも私のために帰ってきてくれたの? すごくうれしい」

 失言だった。浮気相手の都合のせいで帰ってきたのなら夫はそれを不愉快に思っているはずだ。

 夫が手をあげる。私は髪を引っ張られる恐怖に身を縮こまらせた。

 夫は私の頭に手をのせると、優しくなでてくれた。

 にっこり笑って、不思議なことを言い出した。

「君の夫は今、浮気相手と会っているよ」

 私は夫の言っている意味がわからなかった。


 夫と台所のテーブルを挟んで向かい合っている。夫は私の手料理をおいしいと言いながら食べてくれていた。

 いつも作るだけで無駄になる。でも夫が帰ってくることを願って夕食を作っていた。

 今日は無駄にならなかった。それどころかあんなにおいしそうに食べてくれる。すごく幸せなことだった。

 食べ終わり、一息ついた。夫はあらたまって話を切り出した。

「君の夫は浮気相手の家にいる。今夜はいつもどおり帰ってこないよ」

 私はなんと返事したらいいのかわからず、じっと話を聞いていた。

「僕はドッペルゲンガーなんだ。君の夫のドッペルゲンガー。君の夫に化けている。でも別人なんだ」

 ドッペルゲンガー。聞いたことはあるが詳しくは知らない。そう言うと、夫はドッペルゲンガーについて説明してくれた。

 夫が言うには、一般に言われているのとは少し違うらしい。周囲の人間に警告のために姿を見せるというのはうそだ。実際には関わりにならないように遠く離れるそうだ。

 だから遠くによく似た人がいる。同じ顔した人間が三人いると言われるのはそのためだ。実際には本人とドッペルゲンガーの二人しかいない。

 ドッペルゲンガーは人間のコピーとなる。常に本人のコピーであり続ける。

 一度姿をコピーして化けたあとは、肉体は別の人間となる。だから本人が傷ついても同じ傷を負ったりはしない。

 記憶だけをコピーし続ける。本人が見たこと、聞いたことなどの情報を、その場にいるように伝わり受け取る。

 だから本人が知っていることや話したことなどを完全に記憶している。本人しか知らないはずの情報を質問してもドッペルゲンガーを見分けることはできない。

 今も本人がどこで何をしているかの情報を受け取っている。だから夫が浮気相手の家にいることもわかるのだと言う。

 ドッペルゲンガーはコピーしている時点で完全に同じ人間になる。肉体に違いはないし記憶にも違いはない。しぐさも匂いも同じだ。他人に見分けがつくことはない。

 ただ一つ、思考だけは違う。違う人間なのだ。ドッペルゲンガーは本人の思考は読めない。心は読めない。本人とは違うことを考え行動する。

 自分の見聞きする情報と、本人の見聞きする情報。二つを同時に処理するのは別に難しくないらしい。人間の脳は同時に複数の事柄を思考し処理できるようにできている。だから人間と同じ脳でも何の混乱も起こらないそうだ。

 ドッペルゲンガーが死ねばどうなるのか。その死体はすぐに溶けて無くなってしまう。だから本人と同一の死体が見つかるということは無い。

 本人が死ねばどうなるのか。ドッペルゲンガーはもう別個の人間だ。それ以上本人の記憶をコピーし続けることはなくなるが、ただの人間として生きていける。

 その場合、本人の死体は溶けて無くなる。本人とドッペルゲンガーはリンクしている。本人もドッペルゲンガーのように、死ねば死体が溶けて消えるようになっている。

 そのためドッペルゲンガーが本人を殺して消し、本人になりすますことがあるかもしれない。死ぬ直前までの記憶をコピーしてあるのだ。記憶に抜けも矛盾もなく本人になりすますことができる。

 だが実際にそういうことはしない。ドッペルゲンガーは心優しい生き物だ。本人の姿を借りさせてもらうことに感謝している。本人に迷惑をかけないように、遠く離れて暮らす。

 記憶をコピーし続けているため、本人に近寄らないようにしたり本人を知っている人間と会わないようにしたりすることができる。もちろん偶然会ってしまうこともあるが、その場合無視して立ち去ることで人違いだと思わせる。

 本人には記憶が伝わらない。だからコピーされていることも知らずに一生を健やかに生きていける。

 ドッペルゲンガーは人をコピーする前はどんな姿をしているのか。ネズミみたいな姿らしい。小さくて、人目につかないようにちょろちょろうろついている。

 ドッペルゲンガーは生涯で一度だけ人に化ける。やり直しはきかない。

 人としての人生を生きるのだ。どうせなら幸せになりたい。だから若くて幸せそうな人に化ける。愛する人と幸せにしている人に化ける。

 私が夫と結婚する前に、夫に化けた。誰が見ても幸せな二人だった。だから夫に化けて、夫を通じて私を愛する幸せに浸りたかった。

 なのに、夫は結婚したとたんに本性を現した。

 私に暴力をふるった。私を抱かなかった。愛さなかった。浮気した。

 ずっと我慢しているはずだった。ドッペルゲンガーは本人のそばへはいかない。本人に迷惑をかけない。それが姿を借りさせてもらったことに対する礼儀だった。

 でももう限界だった。夫を通じて幸せを感じたかった。私を愛したかった。私の笑顔を見たかった。

 私のことが好きだった。愛していた。見ているだけの、一方的な片思いだった。でも夫を通じて愛し触れあうことができるはずだった。

 それができない。夫は私に暴力をふるう。私を抱かない。私を傷つけ泣かせる。愛する人を悲しませる。

 許せない。しかし姿を借りさせてもらった恩がある。夫に対して何もするわけにはいかない。

 だから私の前に姿を現した。夫が浮気相手の家に泊まり、確実に帰ってこない金曜日の晩を選んで私に会いに来た。

 私に優しくしたい。愛したい。抱きしめたい。抱きたい。

 そのためにきたのだ。

 でももちろん、こんな話は信じてくれないかもしれない。信じたとしても気持ち悪いかもしれない。苦しめるかもしれない。怖がらせるかもしれない。

 それでも、私が信じてくれると信じてやってきた。ドッペルゲンガーである自分を受け入れてくれると信じて訪れた。暴力をふるう夫に代わり私を愛したかった。夫に抱いてもらえない不満を抱く私を優しく抱いてあげたかった。

 どうか信じてほしい。怖がらないでほしい。受け入れて欲しい。

 でもどうしても無理ならおとなしく帰る。二度と姿を見せない。惑わせないことを誓う。

 そう言って、夫は頭を下げた。


 すべてを洗いざらい話し、そして頭を下げてお願いする夫を私は見つめていた。

 そして思った。

 なんて凝った作り話だろう。

 もちろんドッペルゲンガーなんているわけがない。そんな化け物が存在するわけがない。

 化けるのは一度切り。もう戻れないから証拠を見せられない。

 記憶は常にコピーしている。だから夫の知っていることはすべて知っているし、どんな質問をしても見破れない。

 なんて都合のいい話だろうか。

 ようするに、自分はドッペルゲンガーだが証拠は何一つ見せられないし、本人との違いを見破る方法はない。

 そんなわけがない。

 もし仮に、本当にドッペルゲンガーだとしたら、この目の前の男の手に小さな傷をつける。そして明日帰ってくる夫にその傷が無いことを確認すれば証明できる。

 証明方法なんていくらでもあるのだ。見分けがつかないわけがない。

 そうではなく、見分けをつける方法を試さないでくれと言っているのだ。自分がドッペルゲンガーだという嘘を、信じているふりをしてくれと言っているのだ。

 何のために。

 夫はさっき私を抱きたいと言った。

 愛されない私を愛してあげたい。抱かれない不満を解消してあげたい。女としての喜びと自信を取り戻してあげたい。

 暴力をふるい、浮気をし、女として役立たずだとののしる夫。

 いまさら、普通の夫婦として愛し抱くことなんてできない。許されない。

 夫は私を愛している。でもいまさら何もなかったことにはできない。今後もためこんだストレスを爆発させるために私を殴るだろう。だから私を女として見ないのも、浮気をするのも止めはしない。

 だからこんな嘘をつく。なるほどよく考えられた嘘だ。でも穴だらけだ。こんな作り話を信じる人はいない。

 それでも信じているふりをしてほしい。そう願って頭を下げているのだ。普段の暴力をふるう自分はもう妻を愛せない。愛する資格が無い。だからドッペルゲンガーであり、別人であると言い張ることでその間だけ、昔みたいに優しく愛し抱きたいのだ。

 夫が愛してくれる。抱いてくれる。

 こんな嘘をついてまで。いや、こんな嘘をつかなければできないのだ。

 自分の醜い本性は押さえられない。人前では押さえても私に対してだけは押さえられない。

 夫は優しい。私を愛している。だから暴力を振るわざるを得ない自分を嫌っている。きっと私を殴ったあとはいつも一人で後悔しているのだ。でも止められない。止めようがない。

 その後ろめたさ、申し訳なさ、私を愛する気持ち。愛したい。抱きたい。その気持ちを自分の残虐な本性と同時に成立させるためにはこれしかなかったのだ。

 夫は人には計り知れない苦しみを抱えている。それを全て受け止め受け入れるのは妻である私の役目だ。

 夫を愛しているから。

 私は夫の嘘を信じるふりをすることにした。


 ドッペルゲンガーは本人と鉢合わせしないようにする。本人の記憶が常に伝わっているから、今どこにいるかわかる。

 朝、夫が帰ってくる前に家を出る。早朝、人気の無いうちに帰る。もし仮に、夫が何かの気まぐれで早く帰ってくるとしてもそれがわかる。夫の情報はすべて伝わっているのだ。万が一にも鉢合わせする危険はない。

 ベッドで、夫に抱かれた。すごく久しぶりだった。もう二度と夫に抱かれることは無いと思っていた。だからすごく幸せだった。

 夫は久しぶりだったせいか、やり方が違っていた。夫は女を抱くのが初めてだから上手くできないと言った。

 こんなときまでドッペルゲンガーであり、夫とは別人だと装っている。その徹底ぶりにはあきれるほどだった。でも夫は外では完璧に優しい人を演じている。暴力を振るう一面なんてみじんも出さない。だからこんなときでも完璧に他人を演じていた。

 久しぶりで、しかも夫が本当に初めてみたいにぎこちないので、まるで新婚初夜みたいだった。

 夫との新婚初夜は無かった。夫は私を抱くかわりに、はじめて私を殴った。ようやく結婚して檻に閉じこめた。私が逃げられないようになったことを拳で思い知らせた。

 夫はそれを後悔していたに違いない。だから今、女を抱くのは初めてだという嘘をついてまで、初夜をやり直しているのだ。私は夫の思いやりに涙があふれた。今までで一番幸せだった。

 私は女としても妻としても満たされた。この日本当に夫の妻になれた気がした。

 夫は私を愛し、優しく抱いてくれた。そして早朝、まだ暗い内に家を出た。

 玄関で見送る際に、次はいつ会えるのか聞いた。夫の演技とはいえ、今は別人だと振る舞うことを望まれている。だから次はいつ、この優しい夫に会って抱いてもらえるのか聞いた。

 金曜日。夫が必ず浮気相手の家に泊まる日。そのときまた来ると約束してくれた。

 ドッペルゲンガーの夫は帰っていった。どこへ帰るのだろう。遠くに住んでいるとしか言わなかった。私が会いに行くことを許さなかった。

 しばらくすると夫が帰ってきた。出ていったときと同じ服。当然だ。同じ本人なのだから。

 私は夫を出迎えた。さっきずいぶん久しぶりに、優しく抱いてくれた。だからつい、顔がほころんでしまった。

 夫は私を殴った。亭主が帰ってきたのにへらへら笑っているのが気にいらないらしい。私はうずくまって夫に蹴られ、涙を流しながら耐えた。

 ドッペルゲンガーだと言い張る演技。それ以外のときは少しもそれを引きずってはいけない。私にそれを徹底させるため、夫は容赦なく暴力をふるった。私は自分のいたらなさを反省し、その制裁を受け入れた。


 それから毎週金曜日、私は優しい夫と会い、抱かれた。

 普段は相変わらず殴られていた。ののしられていた。優しく抱いてくれる夫とはまるで別人だった。

 でもそう振る舞っているだけだ。夫は外では誰に対しても優しく振る舞う。暴力を振るうなんて誰に言っても絶対に信じてもらえない。

 家の中でも演じ分けるようになっただけだ。暴力を振るう夫と優しく抱いてくれる夫。その二つを別人だと言い張り演じ分けている。

 ドッペルゲンガーは本人に知られてはいけない。だから私は普段の夫には何も言えない。ドッペルゲンガーだと称して家を訪れたとき以外、夫とドッペルゲンガーについての話をしない。

 夫の嘘は手がこんでいた。こうまでして別人のふりをしないと私を抱けない夫の心の中はどれだけぐちゃぐちゃに壊れているのだろう。想像もつかない。そんな夫の全てを私だけが知っている。浮気相手に対して優越感があった。

 それに、浮気相手とたぶん上手くいっていないのだ。だから浮気相手の家に泊まるかわりに私を抱くのだ。浮気相手を抱けない欲望を私で発散するのだ。

 別れたのだろうか。そこまでは期待できない。別れたのなら別れたと言うはずだ。それともみっともなくて言えないのか。

 浮気相手とよりを戻すまでの間なのか。それともこのままずっと私を抱いてくれるのか。わからない。いずれにせよ、私は夫に愛されて幸せだった。

 何ヶ月もそんな日々が続いた。夫はあいかわらず私を殴り、でも金曜の晩だけは優しく抱いてくれた。

 やがて妊娠した。望んでいた夫の子。ようやく母になれる。妻として最高の幸せを得られる。こんなに幸せでいいのだろうか。愛する夫の子を産むのをあきらめていた。それがようやくかなったのだ。こんなにうれしいことはない。

 でも不安もあった。夫はこの子の前でも私に暴力をふるうのだろうか。この子にも暴力をふるうのだろうか。

 何も言えない。私が暴力をふるう夫に何を言っても聞いてはくれないだろう。

 もしものときは、この子だけは守る。夫の暴力からこの子を守る。

 夫の暴力を受けるのは私の役目だ。妻の役目だ。私は一生その役目を務めあげてみせる。子供に辛い思いは絶対にさせない。

 夫が、せめて子供の前では優しくふるまってほしい。たぶんそうするはずだ。暴力を振るう本性を、私以外の誰にも見せないはずだ。夫は決してボロを出さない。それは子供の前でも同じはずだった。だから私は少し不安もあったが、夫は子供には手を出さないだろうと思っていた。


 その日々は思いもかけない形で終わりを迎えた。

 ドッペルゲンガーとして振る舞う夫が家に来た。その日はいつもと様子が違っていた。

 彼はずっと何も言わない。笑いかけてくれない。私は夫が何か言ってくれるまでじっと待った。

 何がそんなに言いにくいのだろうか。長い時間が経った。夫はたびたび顔を苦悩に歪ませた。何をそんなに悩んでいるのだろうか。

 声をかけてはいけない気がした。私は夫がどんなことを言ってもそれを受け止める覚悟をした。

 夫がようやく口を開いた。

「君の夫はもういない」

 どういう意味だろう。ドッペルゲンガーが言うのだから、本人のほうがいなくなったという意味だ。どこかへ行ったか、それとも死んだか。

 それとも殺されたか。殺したか。

 ぞくりとする。何を言っているのだろう。

 夫は目の前にいる。ドッペルゲンガーなんて夫の作り話だ。それがもういなくなったとはどういう意味で言っているのかわからない。

「君の夫はもういない。これからは僕だけだ。これから僕が君の夫になる。ずっとそばにいる。産まれてくる子の父親になる。君と子供をずっと愛する」

「絶対に暴力はふるわない。だからもう安心して。これからはよい夫であり父親になると誓う」

「今まですまなかった。許してくれとは言えない。僕には償いようがない。でもどうか、今までのことは全て忘れてほしい。僕が言ったこともしたことも全部忘れて、無かったことにしてほしい」

「これから僕は君の夫だ。立派で、誠実で、絶対に裏切らない。暴力をふるわない。約束する。君と産まれてくる子のために一生を捧げる」

「僕、いや、俺が今日からこの家に住む。君の夫として過ごす。仕事にも行く。浮気相手とはきっぱり話をつける。浮気はしない。君だけだ。俺が抱くのはこれからずっと君だけだ」

「他にどうしてほしい? 言ってくれ。君のために、最高の夫になることを誓う」

「愛しているよ。だからどうか、疑わないでくれ。今までのことは本当にすまなかった。でもこれからは君を大事にする。これから一生君のそばにいる。暴力をふるわない。約束する。それを疑わないでくれ。俺を信じてくれ」

 夫の必死な訴えは本物だった。夫は演技が上手い。でもこれは本心だと確信できる。

 夫は自分のことを俺と言う。ドッペルゲンガーは自分のことを僕と言う。僕ではなく俺と言うようにしたのは決意の表れだ。二度とドッペルゲンガーのふりをしない。これからはちゃんと優しい自分が夫になるということだ。

 子供を身ごもった。これから父親になる。家族が増える。

 もう二人きりではない。夫は私と二人きりのときだけ暴力をふるう。

 だから二人きりでない限り、暴力はふるわない。

 私は少しだけ思い違いをしていた。

 夫はため込んだストレスを、私に暴力をふるうことではらしていると思っていた。普段完璧な善人を演じているからこそ、とんでもなくストレスをため込んでいるのだ。

 そう思っていた。でも違った。

 スイッチだったのだ。私と二人きり。それがスイッチだったのだ。

 私と二人きりになるとスイッチが入る。どうしようもなく凶暴になる。

 それは二人きりという条件が引き金となって引き起こされる現象だったのだ。夫の精神がどうなっているのかわからない。でもおそらく、夫にはそういうコントロールできないスイッチがあったのだ。

 夫のように、完璧に他人を演じてしまう人間はそういうことがあるらしい。他人といるときは善人であるように、私と二人きりのときは悪人であるのだ。

 夫はそれを苦しんでいた。なんとか闘おうと必死だった。

 だから、本か何かで読んだドッペルゲンガーを利用した。自分が二重人格のように変貌するのをコントロールできない。押さえられない。だから押さえるかわりに第三の人格、ドッペルゲンガーを作りだそうとした。

 それは上手くいった。私に対する愛情、私を抱きたい欲情、それらの感情を利用した。浮気相手と会っている時間に家を訪れる。そこに自分がいることはありえない。だからこれは自分ではない。ドッペルゲンガーなのだ。

 私と二人きりになるとスイッチが入り、暴力をふるう。同じように、いないはずの金曜日の晩に家を訪れる。それをスイッチとしてドッペルゲンガーになりすますことに成功したのだ。

 精神科の治療ではそういう催眠や暗示を利用することがある。夫は自分が完璧に他人として振る舞える性質を利用し、医者の手を借りずにそれをやり遂げたのだ。

 私が子供を身ごもった。もう二人きりじゃない。もう三人家族だ。たとえ家の中で二人きりでももう二人ではない。家は家庭で、家庭は三人の家族だ。もう二度と、二人きりだというスイッチは入らない。

 もうドッペルゲンガーもいらない。暴力をふるう夫もいらない。だからいなくなったことにした。ドッペルゲンガーが誠実な夫であり父親になると誓うことで、夫は自分の心とこれまでの過ちにけりをつけようというのだ。

 夫が私にふるった暴力は許せるものではない。それでも許す。水に流す。無かったことにする。もう二度と話に出さない。そんな過去を無かったことにする。

 それが夫にとっての救いなのだ。私が許さないと夫はいつまでも苦しみ続ける。

 夫だって、コントロールできない自分に苦しんだ。きっと結婚するまで自分の本性を知らなかった。

 はじめてスイッチが入って私を殴ったとき、どれほど傷ついたのだろう。そんなことをしてしまう自分にどれだけ絶望したのだろう。自分を止められない、愛する妻を守れないことがどれだけ悲しく辛かったのだろう。

 夫は十分苦しんだ。もう十分だ。

 私は泣きながら夫を許した。夫を受け入れた。夫の言うことを全部聞いた。

 もう過去のことは話に出さない。忘れる。無かったことにする。

 暴力をふるう夫はいなかった。ドッペルゲンガーもいなかった。

 はじめからずっと、優しい夫しかいなかった。それでいいじゃないか。

 私と夫は抱きしめ合いながらずっと泣いた。今までの苦しみを全部涙としてきれいに捨て去った。

 私は幸せだ。夫を信じてきてよかった。見捨てず、逃げ出さず、ずっとそばにい続けてよかった。

 産まれてくる子と三人で幸せになろう。夫も私も辛かった分まで一緒に幸せになろう。

 夫と誓い合った。私たちはこの日はじめて本当の夫婦になれた。


(完)

あとがき(ハッピーエンドを祝福するなら読まない方がいいかもしれない)
posted by 二角レンチ at 20:00| 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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