2012年06月28日

右手がおっさん(2)生え際が問題

右手がおっさん(2)生え際が問題

 私の右手に宿った能力。それはおっさんだった。

 私は期待していたような恰好いい能力とはかけ離れたその姿に愕然とした。だが真に堪えるのはこれからだった。

 私の右手がおっさんに変化した。私はその生え際、私の右手がおっさんになっているところを見て絶望の悲鳴を上げた。

「ひいやあああああああああ」

「おぎゃあああああああああ」

 一度では足りない。二度叫ばずにはいられない。

 私の右手は、あろうことか全裸のおっさんの股間に繋がっていた。生え際がおっさんの股間。なんてことだろう。一、二を争うほど最悪な生え際だった。

「こ、これって、まるで、おっさんのあれ、私の右腕がおっさんの立派なあれみたいじゃないのよおおおおお」

 私は恋に恋する女の子なのにいいいい。

 まだ実物を見たことがないのにいいい。

 どうしてこんなおっさんの、あれみたいになっちゃっているのよおおおお。

 最悪だあ。最低だあ。

 何だこの能力。右手がおっさんってだけでも悲惨なのにさらにこんなのってないわあああああん。

 私は辛すぎて泣いた。泣き叫んだ。これが能力者の背負う業というものか。辛い。辛すぎる。マンガなんかと違って夢も希望も無い。

 私はこんなにいやで恥ずかしい能力で戦わねばならない。それが私が能力に目覚めたときに自覚した宿命。

 受け入れるしかない。想像と違う辛さだが、この試練に耐えて前に進まねばならない。

 私は幸いまだ若い。この辛い現実と戦い前向きに取り組む気力をなんとか振り絞れた。

 能力は引っ込めようと思えばすぐに引っ込んだ。よかった。もし右手がこのまま引っ込められなければ隠しようがない。そうなったらおしまいだった。両親の待つ家に帰れなくなるところだった。

 能力者は能力を隠す。その理由がまさかこんなみっともない理由だとは思いもしなかったが。私はもちろん、だれにも絶対に能力を知られないよう気をつけることにした。

 しかし能力者は能力者と戦わなければならない。他にもいる、右手に能力を宿した能力者たちとの戦いは避けられない。

 そうなったら能力を見せないわけにはいかない。負けたらどうなるのかわからないが、負けてはいけないことだけはわかる。だからいかにみっともない能力だろうが能力者と出会ったら能力を出さなければならないのだ。

 全裸のおっさんの股間に右腕がつながっている。腕がまるでおっさんのあれみたいに見える。

 これはいくらなんでも恥ずかしすぎる。そこで私は、お父さんの服をこっそり拝借して右手のおっさんに着せてみた。全裸よりはましになるし、生え際も隠れるから私の右手がおっさんのあれに見えなくなるだろう。

 だが現実は残酷だった。神はこの能力とともに私にどれだけの試練を与えれば気が済むのだろう。

 右手のおっさんにお父さんの服を着せた。これで全裸のおっさんでなく普通のおっさんに見える。そこまではよかったのだが、肝心なところが悲惨だった。

 ゴゴゴゴゴゴゴ

「いっやあああああああああ」

 これじゃまるで、私がおっさんのズボンのファスナーを開けて手を突っ込んで股間をまさぐっている痴女じゃないのおおおおお。

 駄目駄目駄目駄目却下却下却下却下ああああああ。

 こんなの絶対駄目。私が変態に見られる。私は花も恥じらう乙女なのに。おっさんに痴漢を働く痴女に見られるなんて耐えられないいいいい。

 しかたがない。恥ずかしいけど右手のおっさんは全裸のままでいるしかない。服を着せるとここまで悪化するとは。手のくせに手の施しようが無い。

 能力者と出会ったら全裸のおっさんを出して戦うしかない。気が重い。能力者と対峙する恐怖より、能力者にこの右手を見せる恐怖の方がはるかに強かった。

posted by 二角レンチ at 23:01| 右手がおっさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月25日

右手がおっさん(1)我が右手に宿るはおっさん

右手がおっさん(1)我が右手に宿るはおっさん

 私は平和を愛する女の子だけど、漫画なんかでよくある能力バトルが好きだ。特殊な能力を持った者たちが激しいバトルを繰り広げる。もし自分にもそんな能力があれば、と毎日のように考えていた。

 その願いが天に通じたのか、私はある日突然能力に目覚める。私の右手に特別な力が宿ったのを感じる。同じように右手に能力を宿した能力者たちと戦う宿命を与えられたことがはっきりわかる。

 いったいどんな能力なのだろう。右手から炎が出るのか。氷が出るのか。ビームが出るのか。それとも剣や槍のような武器が出るのか。

 能力を駆使して戦う。もちろん漫画のような恰好いいことばかりではないだろう。辛く厳しい戦いに身を投じる覚悟も出来ていた。

 だが現実は想像すら出来ないほど過酷だった。私は自分がいかに甘い考えだったのかを思い知らされることになる。能力者になるということは常人には耐え切れないほどの辛い試練に立ち向かうことを意味する。

 私は周囲の安全と人目を避けるためにだれもいない場所へ行き、自分の右手に宿った能力を発現させてみることにした。

「我が右手に宿る力を今こそ解放する。うおおおおおお」

 能力がわからないから能力名を叫びながら発現させることが出来ない。その能力を見てからすごく恰好よくて何度も叫びたくなる能力名をつけよう。

 私の右手が光る。熱く燃える。来る。能力が現れる……!

 ドン!

 お……おっさん?

 私の右手からおっさんが出てきた。私の右手が全裸でたくましく、ムスッとしたおっさんに変化していた。

 ひいいいいいいいいいい。

 いやああああ。何これ何これ何なのこれええええ。

 現実はあまりに過酷だった。能力者になるというのはあこがれていたような格好いいものではなかったのだ。

 私はこれから右手に宿ったおっさんとともに、同じく右手に能力を宿す者たちとのバトルに身を投じることになる。

 正直やりたくない。こんなおっさんが右手に宿っているのもいやだし、このおっさんで戦うってどういうことなの。わたしがあこがれていた能力バトルはこんなのじゃないいいいいいいい。

posted by 二角レンチ at 08:05| 右手がおっさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月20日

見捨てることが許された世界

見捨てることが許された世界

 世界の終末。人類は多くを見捨てることで一部だけでも生き残るかそれとも全滅するかの選択を迫られていた。

 世界経済は破滅し、人類は生き残ることができなくなっていた。

 このままでは全滅してしまう。誰もが泣き叫び、誰かがなんとかしてくれるのを切望した。

 しかしどうにもならない。

 誰にもどうにもできない。

 人は人を救えない。その真実を、ここまで追いつめられてようやく認めざるをえなかった。

 自分すら守れない。助けられない。その上他人まで助けるのは無理だった。人にはそれだけの力が無かった。

 それまで人は理想に生きていた。誰もが助け合い、力を合わせて生きていく。誰も見捨てない。誰も見殺しにしない。そんな理想を尊重していた。

 その結果がこれだ。人は理想をかなえる力が足りなかった。人の身に余る理想だった。神にしか成し得ない理想だった。

 はるか昔、人は人にはどうしようもできない現実がつきつけられたとき、その身に悪魔を宿した。心を悪魔に売り渡した。

 口減らし、村八分、追放、捨て子、人売り。あらゆる非道な人捨てを行った。

 それらは許されざる大罪だった。しかし人はそれを行い、それを咎めなかった。

 だってどうしようもないから。

 そのままでは共倒れになるから。

 子を捨てた親は食い扶持を減らすことで生き延びた。親に捨てられた子は一人で泥をすすって生き延びた。

 もし親が子を捨てなければ、子はいつまでも親の施しだけで食い、親子ともども飢え死んでいた。親は子を養うことはできないし、子はいつまでも親に頼ろうとする。

 どうしようもないときは人を見捨てる。それが、共倒れを免れみんなが生き残るための最終手段だった。

 見捨ては見殺しになる。捨てられれば生きていけない者も多かった。

 でもどうしろというのだ。どうしようもない。

 救えるものなら救いたい。でも救えない。救うだけの力が無い。

 確実に死を迎えるよりは、わずかでも生きのびる可能性を与えたい。親は子を愛するからこそ捨てる。子は親を愛するからこそ捨てられる。

 その結果死んでしまったとしても、どこかで元気に暮らしていることを願い続けることができる。

 見捨てるのは悪いことだ。でも縛り付けて死なせてしまうよりはましかもしれない。

 捨てられた結果、悲惨な目にあうことも多かった。それでも、わずかな可能性にかけるしかなかった。

 どうしようもなく追いつめられたら見捨てるしかないのだ。

 人はそこを間違えた。

 戦争が終わり、人が減ることが無くなった。人を殺すことも捨てることもその罪悪だけを教えた。それがどうしても必要になることがありえることを教えなかった。

 罪悪だけを教え必要を教えなかった人々は満足して天寿を全うしていった。子孫たちが将来、どれほど追いつめられ苦しむか考えることなく幸せに死んでいった。

 命は大切だ。どんなに苦しくても力を合わせて頑張ろう。誰も見捨てない。見殺しにしない。それは素晴らしく、正しく、絶対的な理想だった。

 でも人は、理想を実現できるほどの力が無かった。

 その現実から目をそらし続けた結果がこれだ。先人たちの教えを忠実に守り続けた結果がこれだ。

 人はもう、誰も救えなかった。自分すら救えない。だから他人を救えない。

 もう、見捨てるしかなかった。

 人は人を見捨て、見殺し、生き残りにかけるしかなかった。このままでは確実に共倒れする。みんな死ぬ。全滅する。人類は滅亡する。

 国はついに、人を見捨てることを合法とした。

 人が生き残るためにはこれしかなかった。これを行ったからこそ人は全滅を免れた。

 人は人を見捨て、見殺し、そして殺した。

 世界の人口の九割が死ぬことになる、大虐殺の始まりだった。

 国はまず、刑務所にいる犯罪者を殺すことを合法とした。

 経済が破綻し、誰もが貧困にあえいでいた。ただ生きるための食料や物資が行き渡らなかった。

 誰もが平等に生きる権利を持つ。その理想を押し進め、ついには全員が飢え死にするところまで追いつめられた。

 誰かを見捨てなければならない。人を減らさなければならない。

 誰を見捨てる?

 善良な市民が叫んだ。

「俺たちは何も悪いことをしていない」

「悪人と善人、どっちを生かすのが正しいのか」

 それは問いてはいけないことだった。誰の命も等しく大事だ。それが正義であり真実だった。

 正しいことを行っていては全滅する。人はようやく、その現実を身にしみて思い知った。

 間違っていても、行わなければならない悪がある。人はようやく、それを受け入れた。

 人を区別する基準は何だろうか。何もない。人はみな平等だ。

 悪人は罪を犯した。善人は罪を犯していない。どちらかを選んで殺せと言われれば、もう答えは決まっていた。

 刑務所に閉じこめられ、逃げられない囚人たち。罪の重いものから処刑されていった。

 当然、ごく一部を殺したところでまるで足りない。全人類が飢えているのだ。犯罪者に食わせる余裕なんてこれっぽっちもない。

 処刑は順に、有無を言わさず行われた。誰もがかつて、口減らしを黙認したように、善良な無実の人々は黙認した。誰も犯罪者の人権を主張しなかった。自分と家族のためにあらゆる正論を飲み込んだ。

 罪の重い者から順に殺した。足りないから徐々に罪の軽い者まで殺していった。まるで足りないので、すぐに全員殺してしまった。

 もう戻れない。もう償えない。もう止められない。善良な人々は全て人殺しをしてしまったのだ。

 おしまいだった。全ての人が、人を殺した罪を背負った。それを自覚した。自分の手が血に濡れていることを実感した。

 そうなればもう、おしまいだった。もう戻れない。人は次々と、殺す人を選んでいった。

 刑務所から犯罪者がいなくなった。なら裁判中の者はどうだ。冤罪かもしれない。でもほぼ確実に有罪の者もいる。

 裁判のために何年も生かせるものか。今日もたくさん飢え死にしている。犯罪者を生かしておける余裕はない。

 裁判は即決された。すぐに刑務所に送った。どんな軽い罪でも刑務所に入れば殺していい。それがもはや人の共通認識だった。

 刑務所に送り込め。どんどん殺せ。

 無罪? 冤罪? 疑わしきは罰しろだ。

 火の無いところに煙は立たない。無実の人を犯罪者にしたてあげる悪魔の常套句が本物の凶器としてふるわれた。

 裁判にかけられた者はまったく弁護されることなく有罪と見なされた。裁判所はもはや断頭台だった。

 かつて罪を犯した者はどうだ。罪を償っただろうか。足りないのではないか。そもそも再犯する者もいる。再犯が多い。再犯するかもしれない。いやきっとする。

 無実の者と、かつて罪を犯し再犯するかもしれない者。どちらを見捨てるか。両方は生き残れない。

 かつての犯罪者はすべて捕らえられ、刑務所に送られた。刑務所へ送られることは死刑を意味する。一日たりとも生かしておけない。

 ことここに至って人々の狂気は頂点に達していた。なのにまだまだ序の口だった。

 かつての犯罪者。長い刑期で罪を償った。獄中でどれほど後悔しただろう。反省しただろう。再犯する者なんてごくわずかだ。多くは心底反省し、後悔し、心を入れ替えた。

 罪の重さを我が身で実感し、誰よりもその重さを知っていた。無実の善良な市民よりも罪の重さを知っている。そんな恐ろしい罪を二度と犯さないと心に誓っている。

 善良な市民よりもよほど心がきれいだった。罪を犯す可能性が低かった。どんなに追いつめられても二度としない。

 それを善良な市民は死に追いやった。責め立てた。自分たちが助かるために。

 どちらが悪人だろうか。どちらが邪悪だろうか。どちらがひどいだろうか。どちらが悪魔だろうか。

 人々は、二度と罪を犯さない人たちを追いつめ殺した。

 もう犯罪歴のある人はいなかった。それでもまだまだ足りなかった。

 人々は殺す理由を探した。自分は助かり、他人を殺す理由を探した。

 もう無かった。悪人はもういなかった。

 わずかでも悪いことをすればすぐに捕まる。刑務所へ送られ死刑にされる。

 だから人はわずかも悪いことができなかった。盗みも人を殴ることもできなかった。

 人は犯罪者を追い立てるために自分の首を絞めた。自分たちも、わずかの罪も犯せないようにがんじがらめにしてしまった。

 打開策が無い。どうにかして、人を合法的に殺さなければ。

 そこで国は、人を見捨てることを合法化した。

 人を殴ってはいけない。傷つけてはいけない。苦しめてはいけない。殺してはいけない。

 すべて罪となる。人は犯罪者となって死刑になりたくはなかった。

 これらはつまり、積極的な加害行為だった。

 消極的、加害でない行為を合法化する。それが人の見つけた悪魔の解決策だった。

 人は人を見捨ててよい。二度と関わらないようにしてよい。

 それでも追いすがるものは犯罪者だ。危害を加える犯罪者だ。他人に迷惑をかける。それが危害でなくてなんだというのか。

 人類の九割が虐殺された後に構築されることになる理想世界。金でなく幸福を基準とする世界。その礎となる、人の幸福を妨げることを犯罪とみなす法律の先駆けだった。

 まずは病院が対象となった。病院はあらゆる治療を放棄した。人が苦しみ死ぬのを助けなかった。

 人を見捨てるのは合法だ。どれだけ苦しみ助けを求めようと、助ける義務はなかった。

 それでも正しい人たちは見捨てなかった。なんとかして助けようと最後まであがいた。

 そして死んでいった。

 国は見捨てずに助けようとする病院への物資の供給を断った。人を見捨てる善良な市民への物資の供給しか行わなかった。

 もちろん医者たちは供給を受ける。患者も供給を受ける。でも治療に必要な物資は供給されない。物資が足りない。病院では少ない物資をみんなで分けあい、みんな足りなくて死んでいった。

 人々は恐怖した。病院というのは最後の砦だ。人がどうしようもなく健康を損なったときに最後に行き着く場所だ。

 その最後の場所が地獄と化した。刑務所と同じく断頭台と化した。

 どうやっても救われない。全滅する。人は病院まるごと全滅するケースをあまた見て、病院へ行くのが刑務所へ送り込まれるのと同じことだと思い知った。

 安息はない。行くところもない。助かるためにはもっと殺さないと。もっと見殺さないと。もっと見捨てないと。

 動けない者が見捨てられた。一人で生きていけない者が見捨てられた。人は家族を見捨て置き去りにし家を飛び出した。

 みんなで力を合わせて生きていこう。それが理想にすぎないと誰もが思い知っていた。

 でも家族は、家族だけは見捨てない。見捨てられない。人はまだそれを信じていた。それは理想でなく現実だと思っていた。

 それは儚い理想だった。家族かどうかなんて関係ない。誰かを見捨てれば自分たちが生き延びられる。生死をかけた戦いだった。確実に勝てる者が負ける者を見捨てる。それはとても当たり前のことだったのだ。

 家族まで捨てた。見捨てた。動けない、追いつけないのをいいことに置き去りにした。

 引き留める声がする。それは怒号であり罵声であった。それなら躊躇無く捨てられる。自分を憎み恨む奴のために引き返すことはない。

 辛いのは嘆きだった。悲しみだった。悲痛な叫びが耳に残る。行かないでと泣き叫ぶ。その声に振り向いてはいけない。一度引き返せばもう二度と捨てられない。共倒れだ。少ない物資で助けることはできない。病院と同じく、不足が過ぎて全員死ぬ。

 親は子供の手を引いて家を逃げ出す。家に残された動けない家族を捨てる。手助けが必要な家族を捨てる。子供はそれが理解できない。自分の家、大好きな家族の元へ帰りたがる。

 親は恐ろしい形相で子供の手を引く。有無を言わせない。引き返せばこの子まで死んでしまう。家族全員が助かるには物資が足りない。

 こうするしかない。こうしないといけない。

 子供のためだ。家に残された動けない家族もわかってくれる。

 わかるわけがない。

 取り残され、見捨てられた人たちは嘆いた。悲しんだ。家族に見捨てられる。こんなに辛いことがあろうか。死に別れよりも辛い。家族と永遠に離れるだけではない。愛情すらも失ったのだ。もう二度と、愛する家族と思えない。懐かしむことすらできない。

 孤独。絶望。衰弱。死。せめて楽に死ねたら。なぜこんなに苦しい死に方をしなければならないのか。なぜこんなに悲しい目にあわなければならないのか。

 わからない。わかる。恨めない。恨む。

 自分を捨てた家族を恨みながらどんどん弱って死ぬ。その最後はとても長く苦しく辛かった。

 動けない家族を捨てて逃げ出した人々は集まって住んだ。そこで物資の供給を受けながら生きながらえた。

 見捨ててきた。見殺してきた。直接手を下してはいない。でも殺したことに違いは無い。

 見殺すことが合法となった世界。罪ではない。でも罪の意識を感じないわけがない。

 悪夢にさいなまれる。毎日泣いて暮らす。

 罪の意識に耐えられず自殺する者もいる。引き返し、共倒れする者もいる。泣きわめき、当たり散らし、暴力をふるった罪で逮捕され死刑になる者もいる。

 辛すぎて耐えられない者はどうすればいいのか。

 国は、そういう人のための救済措置を用意した。

 最終電車と呼ばれる電車が運行された。行き先は誰も知らない。途中で乗るのも降りるのも自由だ。

 終点に着くともう戻れない。終点までに下車しないといけない。

 でもどうしようもなく、もう耐えられない者、戻りたくない者はそのまま終点まで乗っていればよい。

 終点に着くとどうなるか。わからない。誰も知らない。国は教えてくれない。

 途中で降りてもいいしまた乗ってもいい。最終電車は毎日走っている。人は辛い現実から一時でも逃げたくなると、とりあえず乗ってみる。

 最初に乗ったらすぐ降りる。次に乗ったらもう少し遠くまで乗っている。

 乗っている間、外を眺めている。流れる景色が変わる。今までと違うところへたどり着く。

 どこでも国が配給をしている。どこでも同じ、貧しい食事が食べられる。

 人はとりあえず、辛い現実を忘れるために最終電車に乗るようになった。

 何度も乗る。乗るたびに遠くまで行く。長く乗る。なかなか降りない。

 アナウンスがある。次が終点のアナウンスがある。人はそこで、わらわらと降りていく。

 でも中には降りない者もいる。終点に着くともう戻れない。それは聞かされている。

 電車の中は居心地がいい。快適なわけではない。ただ電車に揺られ、景色が変わるのを見ていると、辛い世界の現状から切り離された別世界に来たような気分になれる。

 辛い世界よりはましだ。もう絶望だ。生きていたっていいことなんか起こりようがない。元の世界に戻りたくない。電車を降りて、元の世界へ踏み出すのがためらわれる。

 それに家族を捨ててきた後ろめたさがある。このまま終点まで乗っておくべきではないか。どうなるか知らないが、のうのうと生きている場合ではないのではないか。

 そう考えて、終点まで乗っていく者が増えてきた。

 これは国が用意した棺桶だった。

 犯罪者を殺した。一人で生きていけない者を見殺した。

 それでも足りない。まだまだ足りない。もっと殺さないといけない。もっと積極的に、死に向かわせないといけない。

 電車に乗せ、現世と切り離す。人は夢に迷い込んだような錯覚を起こす。

 電車から降りるということは辛い現実へ踏み出すということだ。戻るのではない。嫌で嫌でたまらない現実に踏み出す。その勇気が必要だ。

 人はその勇気が持てない。絶望し、困窮し、心も身体も弱っていた。その弱りきった心で辛い現実に一歩踏み出す勇気はなかなか持てない。

 家族を見捨ててきた後ろめたさがある。犯罪者を殺してきた後ろめたさがある。罪の意識が後押しする。自分がどうなろうとかまわない、罰を受けるべきだと思いこむ。

 どんな罰が待ち受けているのか。それを知ったら絶対に拒否する。でもその罰を教えない。見せない。知らせない。だから具体的な恐怖がわかない。危機感がわかない。

 辛い世界から逃げ出したい。だから終点まで乗っていく。

 当然、安らぎなんかない。幸せなんかない。この世界よりももっと辛い現実が待ち受けていた。

 経済が破綻し、食料危機が起こり、人々が奪いあい、国が武力で制圧した。

 そこに至る前に多くの物が略奪され、消費されていた。国がすべてを管理下に置くまでにあらゆる物が消費されつくしていた。

 山も海も田も畑も荒らされた。取りつくされた。国が管理しているわずかな土地からわずかな作物を収穫し、国民に配給していた。

 肉なんてほとんどない。残ったわずかな家畜からわずかな配給しか得られなかった。

 あるときから、徐々に肉が増えてきた。

 何の肉かわからない。でもおいしい。

 子供たちは喜んで食べた。大人たちはそれを見てほほえんだ。

 何の肉かわかる。知らないけれどわかる。

 最終電車に乗って、終点まで行く人が増えていた。終点まで行った人はどこへ行くのだろう。

 牛も豚も鶏も魚も貝もほとんど取れない。

 猫も犬も鳥も獣も虫もどんなおぞましいものも食べられるなら食べた。

 残った肉は。食べられる肉は。

 まだある肉は。まだ取れる肉は。

 それがわかる人は吐いた。でも翌日には食べるようになった。

 人は泣きながら食べた。うまい。食べられる物ならなんでもうまい。

 人は疑問を口にしなかった。

 人は肉を口にした。

 人は答えを飲み込んだ。

 人は肉を飲み込んだ。

 これが人間か。人間のすることか。

 いくら泣いても悔しくても、もう取り返しがつかない。

 自分が捨ててきた。見殺してきた。その罪からは逃れられない。

 人はもう人ではなかった。

 鬼畜だった。畜生だった。餓鬼だった。

 絶望し、弱った人から最終電車に乗り込んだ。そして終点まで旅をした。

 安らかだった。これで終わる。人生の旅が終わる。

 楽になれるんだ。もう苦しまなくて済むんだ。

 電車に揺られていると心が落ち着く。もう二度と、これを降りて辛い現実にさいなまれなくてすむんだ。

 人は辛すぎるとき、それ以上に辛いことがあるとは考えない。

 だから終点へ行ってしまう。そこなら今より楽になれると信じて。


 楽に死ねると思う?


 人は誰も、それを考えないようにしていた。でないと八方ふさがりだ。最終電車に乗って終点へ行く。それだけが、辛くない現実があるかもしれない逃げ道だった。

 人を見捨てて殺してきた国が、楽な死に方を用意するだろうか。

 そこでは効率だけが重視されていた。終点へ着いて連行された人々は、効率だけを優先したそこを見て、一人残らず絶望の悲鳴を上げた。

 もう遅い。

 弱い者、逃げ出した者、一人で生きられない者に楽な死に方は用意されていなかった。

 国は耐えられなかった者から順に、最終電車で排除していく効率的なシステムを用意した。

 それは国が管理する食料生産力が人々の数に見合うまで続けられた。人々はそれまでの間、肉を食らって飢えをしのいだ。

 実に世界人口の九割が殺されて、ようやく食料生産力が国民の数に見合うようになった。人々はもう、人を見捨てて死に追いやったり、罪にまみれた肉を食ったりしなくてもよいのだ。

 この後もさまざまな試行錯誤と残虐な失敗を繰り返しながら、人々は幸せに生きられる世界を構築していった。

 金を基準とし、経済破綻により人類の九割を虐殺した。この失敗はもう繰り返せない。金でも物でも食料でもない基準、人の幸福を基準とした世界を構築した。

 理想世界。幸福を追求し、それを妨げることを犯罪とする世界が構築された。

 人々は過ちを償うために大いなる犠牲を払った。二度と同じ過ちは繰り返さない。

 しかし違う過ちを犯さないのだろうか。誰にもわからない。

 ただ一つ言えるのは、大虐殺を行った人類はすべて等しく人殺しの罪を背負っているということだ。

 あれほど殺しておいて、のうのうと幸せになれるのだろうか。答えはもう、決まっている。


(完)

posted by 二角レンチ at 14:57| 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月15日

男子美術部女装デッサン

男子美術部女装デッサン

18禁です。

概要

僕は男子だけの美術部に勧誘された。女の子みたいにかわいい先輩の女装やヌードや勃起をデッサンし、他の部員たちが抱く部活。僕も女装させられ男たちに抱かれてしまう。

男の子が男子美術部で、かわいい先輩と一緒に女装したりセックスしたりする官能小説です。

主人公の男の子はブルマで女装し、スクール水着で女装したかわいい先輩に童貞も処女も奪われます。そしてたくましい部長や他の部員たちともセックスしまくります。

HTML版とPDF版を同梱してあります。文章はどちらも同じです。

HTML版は各章に挿絵がついています。画像形式はSVGです。画面サイズに合わせて拡大縮小されます。

SVGの表示はブラウザにより異なります。Firefox推奨です。

PDF版には挿絵はありません。文章のみですので自由なイメージで楽しめます。

PDF 134p

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2012年06月03日

うまいと評判のプリン

うまいと評判のプリン

 おほーっこれがうまいと評判のプリンかー。

 うまそうだぜーいただきマリンリゾートー。

 さっ

 ぷりんっ

 さっ

 ぷりんっ

 ちくしょおおおおっ。

 かわすのがうまいプリンなのかああああ。

posted by 二角レンチ at 18:30| 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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