2013年12月31日

見えざる掌(11)浮上

見えざる掌(11)浮上

 カツカツと、ヒールを高らかに響かせてヘカトポリスが駆けてくる。

「うわっ」

 その音を聞いてゾナスはあわてて立ち上がる。

「く、来るな、来るなああああ」

 ゾナスは怯えている。手を切り落とされた腕を滅茶苦茶に振り回し、溶けた顔面であたふたと見えない敵を見ようときょろきょろしている。

 ヘカトポリスは走りながら思案する。

 ジャンプして蹴りを浴びせる方がいいだろうか? いや、空中に跳ぶのはまずい。ゾナスがあわて怯えているのは半分本気だがやはり演技だ。蹴りかかれば死にものぐるいで抱きつこうとしてくる。

 ゾナスはこのままでは確実に殺される。ならもう死や負傷を恐れている場合ではない。自分が助かる可能性はただ一つ。ゾナスがヘカトポリスを捕まえるか、じゃれつく程度でもいいから動きを制限し、その隙にイヒャルテが地面にヘカトポリスを引きずり込んで倒す事だけだ。

 抱きつかれるのは最悪だ。それは避けなければならない。掌は両方ともイヒャルテと戦うために自由でなければならない。その動きを制限されるわけにはいかない。

 ヘカトポリスは舌打ちする。今のゾナスは牙を失った哀れな獣。掌を打ち込んで一撃で殺せるのに、むざむざ脚一本くれてやらねばならない。

 リスクを背負え。リスクは減らせるだけ減らすが、減らす事で敗北のリスクを高めるのは決してしてはいけない。勝利に近づくためには必要なだけリスクを取らねばならないのだ。

 今出来る中で最善の攻撃。ヘカトポリスは跳躍せず地面に片足で立つと、スカートをはしたなくはだけ下着を丸出しにしながら大きく後ろ回し蹴りをする。

 目が見えなくてもその動きは察知出来る。ゾナスは怯えながらも逃げない。その脚を手の無い両腕で必死に抱えるように捕まえる。

「今だ、イヒャルテ!」

 ゾナスが叫ぶ。それに応えるように地面から手がするりと突き出て、地面に立つヘカトポリスの細い足首に指を巻き付ける。

 大きく股を広げ、脚をぴんと伸ばしている。ゾナスからもイヒャルテからも身体や掌を一番遠ざけたこの体勢。腕を自由に動かせる。イヒャルテの位置もわかった。

 これで戦える。リスクを取って勝利を掴む。

 ヘカトポリスは歯を食いしばる。ゾナスは腕で抱えたヘカトポリスの足首をねじ上げる。

 痛みが走る。折れてはいない。はじめのショックさえ耐えきればいい。ここでうろたえてはいけない。

 ヘカトポリスは身体をひねり、下を向く。掴まれた足首はすでに地面に引きずり込まれている。

 まるで地面が幻のようだ。いや、自分の身体が幻なのか。地面を急に取り除かれたように、落下する不安な感覚を味わった。

 ゾナスが腕で抱えたヘカトポリスの足首を執拗にねじってくる。折れてしまう。しかしそれを何とかしようとしてはいけない。勝負は一瞬。この瞬間に、イヒャルテ以外に気を取られている場合ではない。

「ううううぐううううう!」

 べきりと鈍い音が鳴る。ゾナスにねじられた足首が折れた。激痛が走る。しかしヘカトポリスはあらかじめ痛みに備えて歯を食いしばっていた。

 地面に脚の付け根まで引きずり込まれている。もう身体も沈み込む。しかしそれまで待ってやらない。

「あああああああ!」

 女優の演技をする余裕なんて無い。必死だった。地面に引きずり込まれるよりも早く。敵がそれだけに集中しているこの瞬間に、攻撃を開始する。

 イヒャルテは恐らく地面の中では目が見えない。しかし潜っている物体の中を感覚で把握出来ると思われる。でないと見えないのに移動は出来ない。戦えない。

 しかし。まだヘカトポリスの両腕は地面に触れていない。地面に触れない空中の様子まではわからないはずだ。

 それが有利な点。どこから攻撃を打ち込まれるのかわからなければ、それを察知したとき一瞬の遅れが生じる。その遅れが致命的だ。ヘカトポリスの攻撃をイヒャルテに到達出来る。

 ヘカトポリスは腹まで地面にめり込み、片足はゾナスにしがみつかれたままだ。ゾナスは地面にめり込まない。地上と地下。両方から片足ずつ引っ張り股を裂くつもりか。

 ヘカトポリスは、イヒャルテは彼女を地面に引きずり込んでからが勝負だと思っていた。だからその裏をかいて地中に引きずり込まれる前に勝負をつけようとした。でも違う。読み違えた。こうして二人で脚を引っ張り合い股から裂いて殺すつもりだったのだ。

 しかし結果は同じ。引きずり込まれ股を裂かれる前にイヒャルテを殺す。ヘカトポリスは体術を駆使するために身体をとても柔軟に鍛えてある。両足が一直線になってもまだ関節が外れる事すらなく耐えていた。

 そして打ち込む。ヘカトポリスは両手を開き、左右の掌を地面に打ち込んだ。

 地面を溶かしずるりとめり込ませる。イヒャルテの透過とは違うが結果は同じだ。ヘカトポリスの掌は地面を溶かし、何の障害物も無いかのようにイヒャルテに迫る。

 ばきりと大きな音が鳴る。ヘカトポリスの股の関節が外れた。ゾナスが片脚を地上で引っ張り上げ、イヒャルテがもう一方の脚を地中で引っ張っている。このまま股を裂かれても、腹までならまだ耐えられる。

 股裂きはとても恐ろしく、そして恥ずかしい殺され方だ。だから死刑にもある。心も身体も辱め蹂躙する。ヘカトポリスはその恐怖に必死にあらがう。

 地面を溶かしながら突き進むヘカトポリスの両手がイヒャルテに届く。触れた物全てを溶かすこの掌は受け止める事すら出来ない。

 股を開かれ身体を地面に埋め込んだヘカトポリスは真っ暗な中、足首を掴まれている事でイヒャルテの位置がわかる。イヒャルテの能力で透過している地面は能力により異空間と化している。何も手応えが無く何も知覚出来ない。しかし掌だけは能力で溶かした物体に触れ、その感覚が伝わる。

 イヒャルテがどういう体勢をしているのかがわからない。しかしヘカトポリスの掌はたしかに人間に、イヒャルテの身体に触れた。片手が触れたそこは腕だった。切断してはいけない。それを這うように溶かし削りながら身体を目指す。

 ヘカトポリスの脚を掴んでいる手。そして防御のために差し出した手。これでだいたいの体勢はわかった。ヘカトポリスは触れている片手で身体を、そしてもう一方の手で頭を目指して突き出す。

「股裂き、すると思った? あはははは。僕は美しい女性が大好きなんだ。そんなひどい辱めをするわけがないじゃないか」

 イヒャルテはヘカトポリスの足首からすっと手を離した。

 ゾナスは地上にいて気付かない。ゾナスの背後に顔だけ出して作戦を伝えたイヒャルテの言うとおり、ヘカトポリスの股を裂くため思い切り引っ張り上げていた。

 下へ引っ張っていた力が無くなり、いきなり軽くなった。ゾナスは仰け反ってしまうぐらい勢いよくヘカトポリスを釣り上げる。

「あっ」

 急に上に引っ張り上げられ、ヘカトポリスの両手は狙いがずらされる。イヒャルテの頭と身体の位置を突き止めそこに突き出した手が位置を上にずらされたせいで両方とも外してしまう。

 ゾナスは仰け反り、いきなり釣り上げてしまったヘカトポリスをその勢いのまま手放してしまう。地上へするっと抜け出したヘカトポリスはそのまま空中へ放り投げられる。

 その直後、まるでイルカが水中からジャンプするように勢いよくイヒャルテが跳び上がり、ヘカトポリスに追いついた。

「ふふ。僕の能力の一つだよ。透過した物体から勢いよくジャンプ出来る。鯨の噴水みたいなものさ。だから重傷の僕でもこうして君に追いつける」

「この」

 ヘカトポリスはいつもの癖で、脚を伸ばして大きく振るいその反動で空中で転回しようとする。

 しかしそれは出来ない。身体がひねられたが脚は動かない。代わりに激痛が走る。足首を折られ、股関節が両方とも脱臼している。

「得意の空中戦を封じられた気分はどうだい? 最悪に最高だろ?」

「あんただって得意のフィールドから打ち上げられて、陸に上がった魚じゃない。私にはこの掌がある。それに比べてあんたの能力は今役に立たない」

「そうだね。僕は生物を透過出来ない。しても意味が無い。空中戦では僕の掌能力は封じられる」

「なら私の勝ちよ。空中での体術が使えなくても、こうして掌であんたをなでればそれでおしまい」

 ヘカトポリスは健在な両手で襲いかかる。対してイヒャルテはさっき地中で防御のために使った腕は溶かされもう動かせない。残った片腕を上げる。

「だからね、僕は掌能力だけには頼らない。それが使えない状況ではこの掌はまるで警戒に値しないだろう? それを逆手に取る事にしたんだ」

 掌能力は掌に危険な能力を持っている。武器と同じ、いやそれ以上だ。だから空中戦で透過する物の無い状況ではイヒャルテは武器を失ったのと同じだ。

 誰が銃を落とした手を警戒する? しない。そんな物を警戒するよりはまだ蹴りを警戒する。頭突きを警戒する。武器を持たない掌など怖くも何とも無い。それに構う前にこっちの武器である掌を食らわせ仕留められるのだ。

 イヒャルテは頭を振ってヘカトポリスの掌をかわす。しかし同時に二つの掌はかわしきれない。ヘカトポリスのもう一方の掌はイヒャルテの胸にあてがわれる。

 そのまま押し込むまでもない。指を曲げ、指の腹で肉と骨を溶かしながら心臓を抉ればいい。

 勝利を確信したヘカトポリスはそれに集中した。一瞬でも早く心臓を溶かし抉ればそれで勝つ。もう他の事に構っていられない。

 たとえ殴られてもそれで殺せはしない。もう自分の攻撃の方が早い。だから拳でなく、武器ですらない掌が自分の首にあてがわれてもヘカトポリスは構わなかった。

「溶かすより早くへし折る。君が掌能力の他に空中で自在に動ける体術を鍛えたように、僕は武器として使えない掌を鍛え、握力を武器にした」

 ヘカトポリスがその意味を理解するより早く、その首がイヒャルテの握った手でへし折られた。

posted by 二角レンチ at 08:23| 見えざる掌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月29日

見えざる掌(10)潜伏

見えざる掌(10)潜伏

「何?」

 ヘカトポリスは地面に警戒をしながら返事する。別に自分に語りかけたわけではないだろうが、その先を促した。

 ゾナスは、イヒャルテが逃げたとつぶやいた理由を話す。

「イヒャルテは、息を止めるのが一分ぐらいしかもたないって言っていた。もうとっくに一分は過ぎている。だからまさか、俺を見捨てて、地面の中を泳いですでに遠くに逃げているのか」

「一分? そんなの並の人間でもちょっと頑張れば出来るわ。彼は地面に潜る能力なのよ。もっと鍛えて息が長持ちするようになっているはずだわ」

「いや、あいつは堪え性が無いから。痛みに耐えず気絶したし。へらへらして我慢出来ない奴なんだ」

 まさか。あり得ない。たしかに能力者は痛みに耐えられる。常人とは違う。激痛の中でも意識を保とうとすれば何とか出来る。

 それを我慢せずあっさり気絶した。さっきまでたしかに気を失っていた。イヒャルテは能力者としては致命的に我慢が足りない。

 しかしそれが、偽装だとしたら?

 ゾナスがヘカトポリスを倒せたならよし。もし駄目だったときにこうして攪乱するためにわざと気絶し我慢出来ないと印象づけていたとしたら?

 その可能性はある。いくら何でも物体に潜入して戦う能力者が息を止める訓練をしていないはずがない。息が長くもてばもつほど有利になる。たかが一分程度しかもたないはずがない。

 もし、イヒャルテがゾナスを見捨てて逃げ出していたら? いや、地面を泳いで道路の向こうにあるどこかの建物の中ですでに浮上し息をしながら潜んでいたら。

 また地面を泳ぎ、襲撃してくる。危険過ぎる。今イヒャルテを見失うわけにはいかない。すぐに追いかけ必ず仕留めないといけない。

 そのためには……ゾナスを殺しておかないといけない。

 イヒャルテはきっと、すでに地面の中を通ってどこかの建物の裏で浮上している。

 建物の中に入れるのだろうか? 建物と地面は別の物体と認識されるので同時に透過は出来ないはずだ。しかし一階の床は地面だろうか? 建物だろうか?

 地面の一部と見なして透過出来なくても、建物の裏の路地から顔を出して息をつげばいい。

 いや、待てよ。建物まで行かなくても、すぐ向こうにゾナスたちが乗ってきた車がある。あの下の地面から顔を出して息をしていたら、一分以上経っていても大丈夫だ。

 待て待て。それならそもそも、ゾナスの陰でもいい。地面から鼻と口だけ浮かべて息継ぎをすればいいのだ。ゾナスはしゃがみ込んでいる。地面から顔だけ出すイヒャルテは十分隠れて確認出来ない。

 イヒャルテを追うためにこの場を離れたら、ゾナスの後ろに隠れて潜っているイヒャルテがゾナスを地面に引きずり込む。そうなったらもう追えない。どの方向に逃げたかわからない以上確実に逃げられる。

 ならゾナスを先に始末しておくしかない。ゾナスを生かして逃がせば次は無い。今度も勝てる保証は無い。不意打ちでイヒャルテを倒しておいたから勝てたのだ。二人がかりで地面を潜って襲われたら負ける可能性の方がはるかに高い。

 ゾナスを始末しようとしてのこのこ近づいたら、その陰に隠れて息をしながら潜んでいるイヒャルテに引きずり込まれる。きっと一分どころか何分も息を止めていられるはずだ。能力的に息を止める訓練をしていないはずはなく、引きずり込まれて潜水勝負になれば負ける。

 地面の中でも融解能力で戦えばイヒャルテを仕留められるかもしれない。しかしゾナスもいる。

「俺を、見捨てて、ちくしょう。何だよ。俺、命を張って守ってやったのに。こんな、裏切り、許せない。見捨てていりゃあよかったのか。くそったれ。うああああああ」

 めそめそ泣き言を言い続けてうなだれるゾナスを見る。あれははったりだ。手を失い顔面を潰されてもまだ脚は残っている。蹴りなり体当たりなり攻撃出来る。

 そうなれば隙が出来る。ほとんど役に立たないゾナスといえど、隙を作る囮としては十分機能する。

 その隙をついて地面に引きずり込む? 地面の中はイヒャルテの独壇場だ。視界が効かず慣れない状況で満足に戦えるのか?

 地面の中を泳ぐのはどういう状況なのだ。水の中みたいに抵抗で動きが鈍くなるのか。あるいは宇宙空間にいる宇宙飛行士みたいにふわふわ浮かびちょっと動いただけでぐるっと回転し続けてしまうのか。

 確実に、地上や空中とは違う。自慢の体術が封じられた中で格闘して勝てるのか。

 イヒャルテの掌能力はそれ自体に殺傷力はない。でも別に、馬鹿正直に掌能力だけで戦う必要はない。ナイフでも持って首をかききればそれでいい。

 地面に引きずり込まれるのはやばい。イヒャルテはその中ではおそらく無敵だ。得意な環境で慣れない者を襲う。それでイヒャルテは今まで勝利してきたのだから。

 ヘカトポリスはどっと汗を吹き出す。

 なぜだ。どうしてだ。相手は重傷だ。侮っていた小物だ。能力も大した事はない。なのにどうしてここまで八方塞がりになってしまったのだ。どうして圧倒的に有利な状況を築いたはずの自分が追いつめられているのだ。

 落ち着け。冷静になれ。ヘカトポリスは大きく息を吐いて熱くなった頭の熱を排出する。

 相手は手負い。だから相手に有利なフィールドに引きずり込まれてやっと互角。十分勝ち目はある。だから地面に引きずり込まれてもいい。

 その上で、そのリスクを背負った上で、どう行動すればいいのか。

 ゾナスが身を挺してイヒャルテと戦う邪魔をしてくると、リスクが一気に高まる。掌を両方とも奪っておいてなお邪魔になるとは。しかし侮ってはいけない。

 ゾナスは最後まで戦おうとした。イヒャルテの勝機にはとっくに気づいている。イヒャルテが自分を見捨てたと嘆きののしっているのは演技だ。そうしてヘカトポリスがゾナスを奪還されないようとどめを刺すのを誘っている。

 このまま膠着状態を維持して妹の到着を待つべきなのか?

 そこでヘカトポリスははっと気づく。

 イヒャルテの狙いは自分ではない。妹なのだ。

 位置情報を偽装するため二地区向こうにいる妹に自分の手錠と携帯端末を預けている。だから妹に連絡を取れない。

 妹との連絡に使っていた情報屋はすでに離脱させている。情報屋が誰かを知られるのはまずいからだ。ゾナスたちを確実に仕留められる保証は無かったので交戦前に離れさせる必要があった。

 それが仇となった。妹と連絡が取れない。妹が車で到着し、車から降りたとき、警告を叫んでも間に合わない。

 ゾナスの有様を見れば妹は姉の勝利を確信し近づくだろう。身振りで警告した場合は逆に、姉が何らかの危機に陥っていると悟りやはり近づいて助けようとする。

 妹はそういう奴だ。最愛の妹グンダーニ。互いにどんな状況でも見捨てず裏切らない、唯一無二のパートナー。

 その互いを絶対に見捨てない強い絆が仇となる。何もかも利用されている。誰にも預ける事が出来ない手錠と携帯端末を預けるほどの信頼と絆。それを逆手に取られて利用されている。

 これは罠だ。すでに蜘蛛が巣を張って待ち構えている。愛しの蝶をこの巣に飛び込ませるわけにはいかない。その前にけりをつけなければならない。

 地中に引きずり込まれれば、それで勝利してきたイヒャルテは重傷とはいえ危険すぎる。

 ただのはったりかもしれない。それならそれで勝利出来るからいい。でもはったりでなく、あの重傷でも地中に引きずり込めば勝てるというなら、妹をその危険に晒すわけにはいかない。

 やるべき事は一つだ。ゾナスを殺す。そしてそこに待ち構えているであろうイヒャルテと一対一の状況に持ち込み、地中に引きずり込まれてなお戦い勝利する。

 危険だ。しかしこのままでは妹はもっと危険だ。殺される。殺さなければ殺されるぎりぎりの状況において、生かして捕獲する任務などを全うするとは思えない。

 任務は果たせずとも、死体を持っていって賞金首の賞金をもらえればそれでいい。うまくすればゾナスもイヒャルテも助かるが、イヒャルテは無理ならゾナスを見捨てヘカトポリスかグンダーニのどちらかでも殺して死体を持ち帰ればそれでいいのだ。

 姉妹のどちらかが生き残れば復讐でイヒャルテを追う。その前に、イヒャルテも体勢を整えて襲ってくる。

 不意打ちで倒したのが幸いしたが、一度逃げられれば地面でも建物でも潜り込める能力相手に不意打ちし合いでは勝てるとは思えない。暗殺勝負なら相手の方がはるかに上だ。

 今すぐやるしかない。これ以上の最善など無い。悪い一手だが最悪を免れるためだ。

 ゾナスを殺し、イヒャルテのフィールドである地中での勝負を挑む。今はこれ以上にいい方法は無い。思案している時間も無い。自分のリスクは妹の命とは釣り合わない。妹の命と比べたらリスクどころかこの命すら軽すぎる。

 ヘカトポリスは覚悟を決めると、怒りに満ちて歪んだ顔でゾナスに向かって走り出した。

posted by 二角レンチ at 08:24| 見えざる掌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月27日

見えざる掌(9)目覚め

見えざる掌(9)目覚め

 ヘカトポリスは手を広げ、左右の耳に当ててゾナスの絶望の音色をより深く聞きほれる。

「んんー、これこれこれこれ! これが聞きたかったのよ。強い男を完全に絶望させたときの悲鳴。最高の美酒だわ。もっと早く聞きたかったのに無駄に頑張ってくれちゃって。でもおかげで熟成された。より深く芳醇な絶望の方がコクがあっておいしいわ」

 ヘカトポリスは油断しない。しかしもう完全に勝利した。だからその勝利を存分に味わう。

 けらけらと大笑いするヘカトポリスの歓喜の歌声を、ゾナスは否応無く聞かされる。聞きたくない。なのに両腕を溶かされ切り落とされたせいで耳を塞ぐ事も出来ない。余計に絶望が深まる。

 泣きたい。いや、泣いている。でも顔面を溶かされ目が潰れている。涙腺も潰され塞がれて涙が流せない。溶けた唇と歯の間から涙の代わりに嗚咽を漏らすしか出来ない。

 敗北は、絶望は、こんなに辛いものなのか。

 心も身体も能力も鍛えに鍛え戦ってきた。そして勝利してきた。その誇りと人生、今までの全てを踏みにじられ、長い年月をかけて苦労して積み上げた山を一瞬で崩された。

 それは心に計り知れないほどのダメージを与え、もうゾナスの強い心はへし折れてしまった。

「おう、うぐう、ふぐ、うあああわああああ」

「はあはあ。んんー。あんた最高。すごくセクシー。そそっちゃうじゃない。あんなに強くて最後まで粋がっていた男がこんなにみっともなく嗚咽する。はあああ。あえぎ声より嗚咽の方がいやらしい。興奮しちゃうわ。グンダーニはまだ着かないのかしら。あの子の運転する車はとても早いわよ。二地区離れていてもひとっ飛び! だからもう着くと思うけど。あの子にもこのおいしい美酒を味わわせたいわあ。早くしないと賞味期限が切れちゃうじゃない。嗚咽は絶望したてが一番おいしいのに」

「うう、ぐふっ、んぐあああおおおおお」

「強い男ほど、心が折れたときは赤ん坊みたいに泣き叫ぶ。今まで長年我慢していたものが一斉に吹き出しちゃうからね。いいのよ坊や。存分にお泣き。もっと聞かせて。裏社会で生きるのにおちおち子供を産んでなんかいられないからね。赤ん坊の代わりに倒した男たちの泣き声を聞いて楽しむのよお。私のかわいい赤ちゃん。もっと泣いてちょうだい。あっはははははははは!」

「これまでか」

 やけにはっきりした声が聞こえた。ヘカトポリスは高笑いをぴたりと止める。

「え?」

 ゾナスを見る。ゾナスは相変わらず地面にしゃがみこみ、見えない目で両腕の切り口を見るようにして泣いていた。

「今何て?」

 ゾナスは答えない。さっきから変わらず嗚咽し続けている。

 今はっきりしゃべったのに。こんな泣きじゃくった赤ん坊の声じゃなかった。

 いや、声自体が違った?

 ゾナスの声じゃなかった。ヘカトポリスは周りをきょろきょろする。

 近くには誰もいない。能力者同士の戦いを遠くから見ている者たちはいる。でもそんなのは少数だ。

 裏社会の町では争いは日常茶飯事で珍しくは無い。掌能力者同士の戦いは人目に付かない場所で行うのが常であり、たしかに珍しいが、巻き込まれると危険なので見物するよりは遠くに逃げるか通り過ぎてしまうものだ。

 一体誰の声だ? しかし他に人の気配は無い。妹はまだ到着していないし男の声だった。

 ゾナスでないならあとは一人しかいない。しかしゾナスの後ろで血塗れで地面に転がっているイヒャルテはまだ微動だにしない。

「空耳? まさか。そんなわけがない」

 裏社会で生きるのに油断は許されない。声がしたならその正体を突き止めないといけない。

「ああ。僕だよ。そんなにきょろきょろしないでよお嬢さん」

 また声がした。

 今度は注意していたから声の出所もわかった。ゾナスの後ろ、転がっているイヒャルテから声がした。

「イヒャルテ? あんた意識が戻ったの?」

 ヘカトポリスが問う。もう頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられないゾナスもその声に反応して振り返る。

 とはいっても顔が溶かされていて目が見えない。でも顔を向けた方が声がよく聞こえた。

「ゾナス。よく頑張ったね。と言いたい所だけど頑張りが足りないよ。おかげで僕が頑張らないといけないじゃないか。どうしてくれるんだ」

 ゾナスは溶けた唇を動かし声を絞り出す。

「イヒャルテ……うぐっ、お前、何だ。無事なのか?」

「いや、無事じゃない。走る車をすり抜けて地面に叩きつけられたんだ。受け身も取れなかったしね。あちこち引き裂け血まみれのままさ。腕や脚や肋骨もあちこち折れているし、肺が傷ついて血を吐いている。君がほんの少しの時間しかもたなかったせいでろくに治癒が進んでいない。意識を取り戻しただけでせいぜいさ」

 ゾナスは絶望し過ぎてもう希望を抱けない。だから重傷で倒れているイヒャルテが助けてくれるとも思わず、おかげで落胆はせずに済んだ。

「そうか……じゃあもうおしまいだな。俺も戦えない。お前も戦えない。もうじき妹の方が着くんだとよ。手錠を持ってな。俺たち二人とも捕獲されておしまいだ」

「僕はすでに捕獲され賞金首じゃないよ。だから捕獲されないよきっと。金にならないもの」

「じゃあ殺されるんだろうな」

「ははは。そうだね」

 ヘカトポリスは二人が現実逃避して会話に和んでいるのを聞いて顔をしかめる。

「気持ち悪いわねえ。唇を動かさずにしゃべるなんて」

「腹話術、知らない? 動けないほど重傷の時は重宝するんだよ」

「それぐらい知っているわよ。表社会の見せ物にしか使えない。役に立たない特技ね」

「そうだね。掌能力者の役に立つ特技は掌能力だ」

「何あんた? まだ戦う気なの? 重傷で身体動かないんでしょ」

「少しは動けるよ。掌で地面を触るぐらいはね」

 イヒャルテは倒れたまま掌を地面につける。能力を発動させ地面に沈み込む。

 この距離では飛びかかっても間に合わない。だからヘカトポリスは動かずそれを見ていた。

「だから何? あんたは触れた物に潜り込める。でも息が続かずいずれ顔を出すしかない。ろくに動けないくせに。表社会のもぐら叩きでもしてほしいの?」

 地面から声が響く。地面の中で反響して聞こえるので今イヒャルテがどこにいるかわからない。これも能力の内だった。

「表社会のゲームは好きだね。もぐら叩きも子供の頃よくやったなあ。裏社会は遊びが足りないね。代わりの面白い事はたくさんあるけど。まあいいや。僕の能力は潜入。掌で触れた物体一つを透過し潜り込める」

「そのぐらいデータベースで知っているわよ」

「能力を説明するのはね、優位にある事を相手に知らしめる効果があるんだ。余裕のある証拠さ。君だってわかっているだろう。おとなしく聞きなよ」

「何が優位よ。あんたは手負い。それもろくに動けないほど重傷。私は五体満足よ。ゾナスは弱かったからね。傷一つ負う事なく勝てたわ」

 イヒャルテが黙り込む。しばらくして発したその声は、いつもの軽い調子ではなく深くて重かった。

「ゾナスは強いよ。僕に勝ったんだ。僕に勝てる奴を侮辱するのは許さない」

「あんたがそれより弱いから? ゾナスに勝った私より弱いのが許せないって? 男ってやあねえ。くだらないプライドだけは持っている。私に勝てばいいじゃない。出来るものならね」

 イヒャルテは無視して続ける。

「僕の能力は、潜入した物の中では声を反響させて位置がわからないように出来る。音もなくこの中を自由に泳げる。身体を動かせなくてもね。そして気配も消せる。僕がどこにいるか、高い身体能力による知覚でもわからないだろう?」

 たしかに、能力者なら知覚力も優れ、ゾナスが目を潰されても戦えたように敵が動けば気配を察知出来る。しかし今地面の中にいるイヒャルテの気配はまったくしない。

 潜入の能力はただ入り込めるだけではない。潜伏し、不意打ちする事が出来る能力なのだ。音も気配も振動も消せるし、話せばそれは潜り込んだ物体全体に反響して位置を悟らせない。

「だから何? あんたは同時に二つの物体を透過出来ない。生物も透過出来ない。私を攻撃する方法は脚を掴んで引きずり込むだけ。触れている生物や物を透過している物体に引きずり込める。そして閉じ込め窒息させる」

 ヘカトポリスはしゃがみ込み、地面に手を触れる。どろどろと地面を溶かし手をめり込ませる。

「でも残念。私の掌能力は融解。熱は無くただ物体を溶けた飴のように変形させる。私は地面に引きずり込まれても地面を溶かして脱出出来るし、あんたが私を掴めば地面ごとあんたを融解させる事が出来る」

 ヘカトポリスは大胆に脚を広げ腰を落として両手を構える。薄い布地のドレスを着た女性には似つかわしくない、どこからの攻撃にも即座に対応出来る戦闘体勢だった。

「能力の相性は最悪。あんたは私に勝てない。私の融解能力は無敵よ。破壊力も対応力も優れている。私は身体の動きも鍛えて磨いてきたわ。相手よりも早く相手に攻撃を打ち込める。打ち合いなら負けない。あんたがどこから手を出して掴みかかってきても、たとえ私を捕まえ引きずり込んだとしても対処出来る」

 イヒャルテは答えない。何も言わないならもう気配も音も無いのでまるでいないかのように思える。

 一瞬が大事な戦闘で、一秒はとても長く感じられる。それが何秒、何十秒と経過する。

 緊張が高まる。ヘカトポリスは自分が勝てると思っているが、それでもまだ確実な勝利にはほど遠い。決して油断せず慢心せず、最大の警戒を続ける。

 しかし、イヒャルテは何も仕掛けてこない。もう何十秒経ったのだ。いや、一分以上は確実に経過している。

「まさか、逃げた?」

 それをつぶやいたのはゾナスだった。

posted by 二角レンチ at 18:51| 見えざる掌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月25日

見えざる掌(8)誇り

見えざる掌(8)誇り

 ゾナスの頭上に登り、ゾナスの顔をなでて溶かしたヘカトポリスは、とんと後ろへ跳びスカートを舞わせながらくるくると回転して舞い降りた。

「うぶ、ぐううううおおおおおおおお」

 顔面が溶かされぐちゃぐちゃのゾナスが叫ぶ。溶けた口がべりべりと引き裂かれ、直視出来ないほどひどい悪魔の形相となる。

 ゾナスは自分では見えない醜い顔を押さえて地面に転がる。激痛。目も鼻も溶かされた。唇も前歯も溶かされた。溶けて潰れた目からは涙すら出せない。

「うううぶふぶうううううう」

 ゾナスは激痛にうめく。溶かされたとはいえ熱で溶けたのではない。しかしまるで今も焼きゴテを当てられているかのように熱く焼けただれる痛みが走った。

 しかし、痛み以上に痛いのは心だ。心の激痛の方がはるかに痛い。

(殺される。死ぬ。捕獲される。おしまいだ)

 賞金首が捕まれば、仲介人を通じて政府に引き渡される。その後どうなるかはわからない。政府の抱える能力者として首輪をつけられ支配され労働させられるのが知られているが、他にもいろいろな事をされる。

 能力者を使った実験に使われる場合もある。特にひどい人体実験だって行われる。あるいはとてもかなわないような強力な能力者と戦わせられたり、見せ物として決闘場で戦わされたりもする。

 掌能力者を好んで愛好する変態に売られる事もある。手錠で能力を封じられた上で奴隷にされる。愛玩動物にされたり拷問されたりもする。

 掌能力者の手を切り取って集めるコレクターだっている。裏社会の人間は表社会で人権が認められない。一度堕ちたらもうおしまい。捕獲されたあと何をされても文句は言えない。

 政府の能力者として仕事に従事する。それは過酷ながらもまだ人間として生きられる一番ましな待遇だった。掌能力者は生かして仕事をさせるのが一番有益だからと、たいていの奴は捕獲される事をあまり悲観しない。でもゾナスは最悪を考えそれを恐れるタイプだ。だから絶望で気が狂いそうになる。

(イヒャルテなんか放っておけばよかったんだ。目が治癒する数分だけ逃げていれば状況を覆せたのに。その成功率は低かったがそれでもイヒャルテを守ってこの場で戦うよりは生き残る可能性が高かった)

 もうおしまいだ。視界を奪われただけでもこうして敗北したのだ。さらに目も鼻も潰され口もどろどろで呼吸すら満足に出来ない。顔は焼けるように熱く、痛みと恐怖と絶望を否応無く増幅させる。

 もうまともな思考が出来ない。パニック寸前。こんな状態で強すぎるヘカトポリスに勝つ事など不可能だ。

「ああ。いい男だわ。うふふ。元の顔はとても格好よかったけど、やっぱり男の顔は美しくないわ。ドロドロに溶かして潰してようやく最高の男前になれる。私その顔が一番好き。だって私が勝利し、その美酒に酔いしれるもの。一番おいしく味わえる顔だわあ」

 ヘカトポリスはけらけらと笑う。耳も溶かされていればよかったのに。いや、ヘカトポリスは敗者に勝者の愉悦を聞かせたいから耳を残したのだ。

「ぐ、ぐ、うううぐぐぐぐ」

「さあってと。もう戦闘不能ね。まだ手足は動けるけど、もう私にどうあがいても勝てない。さっきまでとは違い、完璧に私の勝利が確定したわ。でも残念」

 ヘカトポリスはわざとらしく大きなため息をつく。

「私は手錠を妹に預けている。もう車でこっちへ向かっているわ。もうすぐ着くだろうけど二地区も向こうにいるでしょ? 妹が来る前にその顔が治癒しちゃったら困るじゃない。だからそうなる前に、手足も溶かして動けなくしておかなくちゃね」

 くすくすと笑いながら、カツカツとヒールで大きな音を立てて近づいてくる。ヘカトポリスは目を潰した相手の耳を残す事で、音により恐怖を増幅させる。

 掌能力も、身体能力も、能力の一つにしか過ぎない。ヘカトポリスは心理的に相手を追いつめ冷静さを失わせ、思考と判断を狂わせる事で勝利を確実にする。

 手負いの獣とはいえ死にものぐるいで抵抗されればまだ危険だ。なにせ牙を失っていない。ゾナスの掌は両方とも健在で、それに触れられ穴を走らされれば脳まで一気に蜂の巣にされてしまう。

 しかし心理的に追いつめ冷静さを失わせれば動きが単純になる。複雑な裏の無いむやみやたらと振り回すだけの牙など怖くはない。軽々と避けて獣にとどめを刺す事が出来る。

 ここまできてまだ油断しない。勝利をより確実にするためにリスクを減らし安全を積み上げる。だからこそ強い。こうして裏社会で長い年月生き残ってこられたのだ。

 よってゾナスの絶望はより深まる。勝利に驕って油断し安易に近づく敵ならまだ反撃の余地はある。状況を覆せる。しかし慎重に仕留めようとしてくる敵相手に上手く反撃するのは容易ではない。非常に困難だった。

(まずい。まずい。まずい。どうしたらいいんだ)

 この状態で今更逃げても追いつかれる。それにイヒャルテを見捨てて逃げるわけにはいかない。

 もう守れない。二人とも行動不能の重傷になるまで溶かされてから捕獲される。そのまま傷のせいで死ぬかもしれない。生きていても政府の扱い次第では死んだ方がましだったかもしれない生き地獄を味わう事になる。

 怖い。泣きたい。逃げ出したい。

 それでも逃げない。見捨てない。

 ゾナスは取引相手に裏切られたとき、本当に死にかけた。死ななくても捕獲されたら同じ事だ。

 あんなひどい目にもう二度と遭いたくない。裏切りは戦いの敗北とは違う。心までも蹂躙する。敗北を誇れずその運命を受け入れられない。

 だからゾナスは裏切らない。死んでも裏切らない。

 裏切りだけはたとえ自分がそれで助かるとしても絶対しない。それを誓った。それに殉じれば誇りだけは守れる。卑怯な事や汚い事はしても、裏切りだけはしないと誓ったのだからそれだけは決して曲げてはいけない。

 裏切らなければ、自分の誇りだけは守りきれる。ゾナス自身もイヒャルテも守れなかった。でも誇りだけはどんな状況になっても守りきってみせる。

 そこだけは折れない。それを折ったらもう生きられない。誇りさえ折れなければ、たとえ捕獲されてどんな運命が待ち受けようともきっと戦い続ける事が出来る。

 ゾナスは溶けた顔でうなだれうめきながらも地面にしゃがみ手を左右に広げて掌を構える。背後に転がるイヒャルテを守るためにまだ戦おうとしているゾナスを見てヘカトポリスは顔をしかめる。

「やめてよね。私はみっともなく命乞いをする男に笑いながらとどめを刺すのが気持ちいいんだから。そんなに頑張られると、とどめを刺すと気分悪いじゃない。勝利の美酒が不味くなる」

 ゾナスは言い返さない。唇と歯が溶けたが舌は無事だ。しゃべる事は出来るがそれでももう、無駄口を叩く気にはなれない。

「はあ」

 ヘカトポリスがため息をつく。

「駄目駄目駄目駄目! あんたは私という女優を引き立てるわき役なのよ。男はわき役。女は女優。男は女を輝かせる添え物なのよ。それが主演女優を食っちゃういい演技をされたら舞台が台無しだわ!」

 ヘカトポリスは怒りに顔を歪ませ両手を掲げる。ゾナスはその気配に対し身構える。

 手負いで視界も奪われ痛みと恐怖で頭が働かない。この状態で、無傷で百戦錬磨の掌能力者と打ち合いをしてはまるでかなうわけがない。

 それでも、最後の一瞬まで戦い続ける。それは曲げない。粘れば何とかなるとか甘い期待を持っているわけではない。ただそう生きると決めたのだ。どんなときも諦めず戦い続ける。それを貫いたおかげで助かった事が何度もある。

 それでも助からないときが来ただけだ。運と実力。生き延び続けるには両方が必要だ。今回は運に見放された。ただそれだけだったのだ。だからといって、生き方を曲げる必要などない。

 今後どうなろうとも。最後の一瞬まで戦い続けた自分は立派で誇れる。後の自分に今の自分を誇らせる。そのために今頑張るのだ。

「私の舞台を台無しにするわき役が! いいわき役になるまで手足を一本ずつ溶かして引きちぎってやるわ。何本まで耐えられるかしら? 言っておくけど、この責めで四本まで耐えられた奴はいないわ。今まで全員途中で痛みと恐怖に屈して音を上げたわよ」

 ヘカトポリスが腕を振るう。その気配でゾナスの毛穴が一斉に開き、今までで一番たくさんの冷や汗が噴き出す。

「うおおおおおおお!」

 ゾナスが手を突き出し、ヘカトポリスに襲いかかる。

 ヘカトポリスはそれを難なくかわし、その腕を掴むと握りしめる。それはまるで綿菓子を握るように何の抵抗も無く潰れ、どろりと溶けると切断された。

「うあ、あああああ」

 ゾナスは残った手でさらに攻撃する。

 もちろん、それが見えているヘカトポリスはそれをかわして受けるのも容易だ。

 恐怖と絶望に支配されたゾナスは目が見えない事もあり、もう攻撃の駆け引きなど出来ない。ただ単純で何の裏も無いやけくその攻撃。それに対処するのは赤子の手をひねるより簡単だ。

 ひねるのは赤子の手ではない。それよりやわい綿菓子をひねるようなもの。またゾナスの腕を握ったヘカトポリスは、一瞬の躊躇もなくそれを握りしめ、溶かして潰して切断した。

 掌能力者の武器が、誇りである掌が、両方とも腕を切断されて切り落とされた。ぼたりとそれが地面に落ちる音を聞いたとき、必死に耐えていたゾナスの心は砕け散った。

「うおおおおあああああああああ!」

 武器を、誇りを、人生を失ったゾナスは今まで決して上げた事の無い、全てを諦め心底絶望した悲鳴を腹より奥にある地獄の底から叫んだ。

posted by 二角レンチ at 19:16| 見えざる掌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月23日

見えざる掌(7)闇

見えざる掌(7)闇

 ぎりぎり指先が届いただけ。しかし瞼をこすり眼球の表面を溶かせばそれで十分。目潰しは成功した。

「うぐあおおお」

 ゾナスは仰け反り、地面についていた手を遅ればせながら上げて、見えないがそこにいるはずのヘカトポリスに触れようとする。

 しかし触れられない。両手を振って空中をあちこち握ろうとするが、ゾナスの瞼を引っ掻いたヘカトポリスの手すら見つからない。

 ゾナスは鍛えてある。加えて能力者の持つ高い身体能力もある。視界の効かない闇やまぶしい目くらましの中でも音や気配を頼りにある程度反応し戦闘を行える。

 しかし相手も同じ能力者だ。高い身体能力を持つ者同士。視界の効かないハンデは訓練では埋められない。

 腕を振り回すゾナスを後目に、空中を舞う女優は身体をひねったり腕や脚を振ったりしてその勢いで位置を変えながらゾナスの手を全て避ける。そして薄いスカートをたなびかせて舞い降りた。

 カツッと、ヒールが地面に当たる音がする。

「そこか!」

 ゾナスが腕を振って襲いかかる。しかしヘカトポリスはスカートを両手で摘まんでダンスを踊るようにくるくると舞いながら後ろへ跳ぶ。

 再び着地の音が鳴る。距離が離れている。ゾナスは腕を前に構えながら止まる。

(くそ。落ち着け。瞼と眼球の表面を削られただけだ。すごく浅い。この程度なら数分で治癒する。しかし)

 目の見えないゾナスは、ヘカトポリスの笑い声が今まで以上に大きく聞こえる。

「治癒するのにたった数分。でもそのわずかな時間を持ちこたえる事など出来ないわ。わかっているでしょ」

 言われなくてもわかっている。ゾナスはどっと汗を吹き出す。

 致命的だ。掌能力者の戦闘は互いに高い身体能力と掌能力を持つ。

 だから互角になる。相手にいかに手傷を負わせ力の差を広げられるかが勝負だ。そして差が開いたならあとは油断する事なく確実に追いつめ仕留める。

 差がついた場合にそれを埋めるのは容易ではない。覆せない。ゾナスはこのままじっくり追いつめられ確実に殺される。

 賞金首だから殺さず生け捕りにされるだろうか? おそらくそうだろう。少なくとも顔面を破壊し気絶させた上で。

 手錠をかけて能力を奪えば自己治癒能力も著しく弱められる。重傷だとそのまま死ぬ危険もある。しかし軽傷で手錠をかけるような危険はするまい。確実に戦闘不能になるほど痛めつけられる。

「ぐ……」

 ゾナスは両手を構えたまま歯ぎしりする。

 今までだってこういうピンチに何度も陥ってきた。そのたびかろうじて凌ぎきったからこそ今無事に生きているのだ。

 今度だって何とかなる、いや、何とかする。頼りは自分だけだ。誰も助けてくれない。

 今は仲間のイヒャルテがいる。しかしそのイヒャルテはゾナスの後ろに転がっている。車から落下して叩きつけられ重傷だ。しかも痛みに耐えようとせず気絶してしまった。あと数分で意識を取り戻すなんて考えられない。

「おいイヒャルテ起きろ! 重傷でも車を運転ぐらい出来るだろ。それで逃げろ」

 ゾナス一人なら、気配を頼りに走って逃げる事が出来る。もちろん視界の無いままでは視界のあるヘカトポリスからいつまでも逃げきれない。しかし目が治癒するわずか数分だけ逃げられればそれでいいのだ。なのにそれすら出来ない。

 くそ。だから誰かとチームを組むなんて嫌だったんだ。いざというとき頼りになる事もあれば足手まといになる事もある。不確定要素が増え自分の実力で何とか出来る場面に致命的な困難を生む。

 それが今だ。しかし嘆いてはいられない。何とかしないといけない。

 イヒャルテを見捨てて逃げればいい。しかし。

「そんな事出来るかよ。くそったれ」

 ゾナスは取引相手に裏切られた事がある。裏切りを人一倍憎んでいる。

 裏社会では人が人を裏切り利用するなんて当たり前だ。遠慮する事は無い。しかしゾナスは死んでもそれをしたくなかった。

 だから構える。その場で、後ろにいるイヒャルテを守る。逃げ出しはしない。目が見えなくても戦闘は出来る。自分の実力で何とかしてみせる。

「へえ、逃げないの? 怯える兎を狩りたかったのに」

 カツカツと、ヒールの音を立ててヘカトポリスが近づく。その音が近づく度に恐怖が反響し増幅される。それでもゾナスは汗をボタボタ垂らしながら踏みとどまる。

「残念。我が子を守る獅子を相手にするのは逃げる兎を追うより手強いわ。でもそれに敬意を表するわ。この汚い裏社会において、仲間を見捨てず守ろうとするなんて。何て立派で高潔。ああ。まぶしすぎて直視出来ないわ」

 ゾナスは見えない。でもヘカトポリスがまた額に指を立てて当て、天を仰いでいるポーズをしているだろう事は想像に難くない。

「直視出来ないなら見えないな。これで互角だ」

「そうね。うふふふふ。だから正面から堂々と、掌で打ち合ってあげる。互角の戦いね」

「ほざけ。圧倒的優位だからそれを驕る。それが致命的だ。お前は俺に勝てない」

「圧倒的優位だからこそ、それ以上の優位を積み上げなくても確実に勝てる。これ以上優位を築こうとするのはただの臆病者。卑怯だからしないんじゃない。リスクを犯さないで手に入る勝利は無い。これ以上もたもたして状況が不利に変わる前に、正面からの打ち合いで勝利を手に入れるわ」

 戦闘に絶対は無い。いかにリスクを減らしリスクを取るか。その見極めが勝敗を分ける。イヒャルテはリスクを取らず安全を取り過ぎたからゾナスに敗北した。しかしヘカトポリスはそんなに甘くない。

 ゾナスは感覚を研ぎすませる。高い身体能力を持つから気配だけでも十分察知出来る。

 ヘカトポリスの位置、動き、体勢、狙い。察知し把握し想像し看破する。

 出来なければ負ける。圧倒的に絶望的な状況。断崖絶壁の淵に立ちながらあと何ミリ足を踏み出しても大丈夫かを見極めねばならない。

「さよならゾナス。あんたいい男だったわよ。仲間を守るために身を挺する。何て男気。こんな男、裏社会ではなかなか出会えない。惚れちゃいそう。でも駄目駄目駄目駄目。残念。私は私より弱い男に抱かれる趣味は無いのよ」

 ゾナスは見えないが、裏社会の女優はきっと大げさな身振りでそれを謡っている。その気配を、動きを読み取れ。一瞬でも多く気配の情報を取り込んで分析しろ。

 気配が変わる。温めたワインに浸るような芳醇な雰囲気が氷の海に叩き込まれたみたいに一気に凍り付く。

 どこから来る? どっちの掌だ? それとも脚か。

 ゾナスは片手で頭を守り、もう片方の手を前に突き出す。この手は囮だ。まんまとこれを握って溶かそうとしてくれれば儲け物だ。片手で片手を封じられる。

 ヘカトポリスは、遠くで見ている人間や通り過ぎる車に乗っている人間に見られても気にせず、スカートをはだけいやらしい下着を大胆に晒す。

 大きく振り上げた脚を真上に掲げ、そのまま斧で薪を割るように振り下ろす。頭をガードするゾナスの腕にかかとを叩き込む。

 これで位置も体勢もゾナスにわかる。この体勢なら手は届かない。全力の蹴りだ。妙な体勢を取っているわけもない。

 ゾナスは突き出している手を、ヘカトポリスの身体があるはずの位置に打ち込む。掌で腹に触れられればよし。脚でも同じだ。そこから穴を走らせ頭まで一気に蜂の巣にしてやれる。

 ゾナスは目が見えない。だからこうして腕で頭をガードしもう片方の手を前に突き出し囮とした。どの部位に攻撃を打ち込まれようが突き出した手以外の部位を狙われたなら突き出した手での反撃を打ち込める。

 リスクを取りながらも、リスクを極度には上げられない。だからこれは最善の構えであり反応だった。

 しかしそれはあくまで最善。勝つためのリスクを取り足りなかった。ヘカトポリスの体術は能力者としての身体機能をフルに活かし、通常ではあり得ない行動をしてくる。

 それを見ておきながら予想が至らなかったゾナスの負けだった。

 ヘカトポリスはゾナスの頭に打ち込み腕でガードされたかかとを支点に、その脚を振り下ろす勢いのまま身体を上に持ち上げた。

 空中でも腕や脚を大きく力強く振る事で体勢や軌道、進行方向を変える事が出来る。しかしそんな動きをする人間と戦ったのは初めてで、ゾナスはどうしてもそれを思考でシミュレートしきれなかった。

 ヘカトポリスのかかと落としは攻撃ではない。ゾナスの頭にかかとを乗せ、そこに駆け登るための一歩だったのだ。

 もちろんガードせず頭にまともに食らえば、身体能力の高い能力者の蹴りにより頭へのダメージは大きい。脳が揺さぶられ動きが止まればそこでとどめを刺される。防がないわけにはいかなかった。

 そして防いだあとすかさず反撃しないといけない。でないと敵の攻撃を打ち込まれる。目が見えないゾナスは敵の第二撃を防げる保証は無く、その前に攻撃を食らわせる必要があった。

 だがその反撃を予想し見えているヘカトポリスがそれに対処するのは可能だ。ヘカトポリスは身体を浮かせながらも大きくひねってゾナスの打ち込んだ掌をかわした。

 そしてゾナスの頭上にたった一歩で駆け登ったヘカトポリスは、ひざを曲げそこにしゃがみ込むようにして手を下へ伸ばし、ゾナスの顔に掌を押しつけた。

 その手はとても温かくてやわらかくて、そしていい匂いがした。なのにゾナスにとってそれは死神の掌で、氷よりも冷たい骨だけの硬い掌としか思えなかった。

「さようなら」

 顔を優しく愛撫される。たった一なでで、ゾナスは顔面を溶けた飴のようにぐにゃりと潰された。

posted by 二角レンチ at 08:24| 見えざる掌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月21日

見えざる掌(6)融解

見えざる掌(6)融解

 ゾナスたちはレンタルした車で標的の捕獲に向かっていた。

 それを標的に待ち伏せされていた。

 情報を漏らしたのはやはり依頼主であるクランクランなのだろうか? それを考える暇は無い。

 賞金首が今いる地区情報はデータベースで調べればわかる。だから標的であるヘカトポリスは、自分の位置情報を発信している手錠と携帯端末を置いてきたのだ。

 おそらく、同じ標的である妹のグンダーニに預けている。しかしいくら一緒にいる姉妹とはいえ信用しきれるものではない。手錠と携帯端末を預けて離れるなんて考えられない。

 だから効果的だった。裏社会の汚さが身にしみていたゾナスは、ヘカトポリスの位置情報が二地区先だからと油断していた。

「潜れ!」

 ゾナスは叫んで、腕で隣に座るイヒャルテの胸を叩くようにして座席に押しつける。

 イヒャルテの反応は鈍い。しかしゾナスのただならない様子に対しようやく前を向く。

「うわっ!」

 走る車の横に立っている女、ヘカトポリスの手がイヒャルテの目の前の窓に押しつけられていた。

 ぐにゃりと、窓が溶ける。

 熱は全く無い。熱で溶かしているわけではない。

 溶けているように歪む。窓がまるで溶かした飴のようにどろりぐにゃりと歪み、割れる事なく引き延ばされる。

 窓を引き延ばしながらその広げた掌が、イヒャルテの眼前に迫る。

「ひいいいいい」

 イヒャルテは蒼白になりながらあわてて掌で自分の座る座席に触れる。

 ずぶりと、イヒャルテの身体が座席にめり込む。

 座席はまったく変形していない。イヒャルテの身体がまるで幻にでもなったかのように、座席にするりと埋まっていく。

 イヒャルテが後ろに倒れ込み座席にめり込むと、さっきまで顔があった部分を、窓を布みたいに引き延ばした手が通過する。

 窓も窓枠も溶けて伸ばした飴のように、破れる事なく歪み引き延ばされていく。ぐにゅうううううっと車体を変形させて、女は手を車から引き離す。

 車はそのまま通過する。窓が溶けて変形し、もうそこから外は見えない。

「ぐがっ!」

 イヒャルテの絶叫が響く。ゾナスは急ブレーキをかける。

 むろん間に合わない。イヒャルテは座席にめり込んだあと、そのままするりと車の下から地面に落ちて叩きつけられた。

「ぎっ、ひい、ぎゃっ」

 交差点を曲がって減速していた。だからまだ少しはましだが、それでも高速で走る車から落ちて地面に激突した事に変わりない。

 とっさに後ろへ倒れ込み、受け身を取る暇も無かった。イヒャルテは危機管理能力やとっさの反応力が乏しい。もう少し対処しようもあったはずなのに、まともに地面に叩きつけられた。

 ごろごろと、地面を血塗れになりながら転がるイヒャルテは、ずいぶんと女から離れ、やがて止まった。

 ブレーキをかけ車を横に滑らせながら急停車し、ゾナスは勢いよくドアを開け急いで車を降りる。

 ちょうど転がってきたイヒャルテはすぐそばに倒れていた。転がったのが幸いし、女にとどめを刺される前にゾナスが駆け寄れた。

「おい、しっかりしろイヒャルテ」

「ぐ……」

 気絶している。何て事だ。戦闘中なのに重傷を負ったり気絶したりする奴があるか。

 能力者なら痛みに耐える事が出来るのに、イヒャルテは痛みに弱い。根性や我慢がまるで足りない。意識を保たずあっさり気を失って苦痛から逃げ出してしまった。

 待ち伏せして不意打ちしてきた女、ヘカトポリスがゆっくりと近づいてくる。ゾナスは血塗れのイヒャルテを抱えながら女をにらみつける。

 髪が長くウェーブがはねている。奔放な女だ。身体はとてもむっちりして胸と尻がとても大きい。それをまるで娼婦が街頭で客を誘うように薄く露出の高いドレスを着ているので、身体のラインがとても強調されてすごくいやらしい。

 戦う服装ではない。男の目を引きつけ、一瞬の隙を作り出すためだけにそんな格好をして待ち構えていたのだ。

「ヘカトポリスてめえ、何で」

 ゾナスが叫ぶと、ヘカトポリスは大きく首と手を振って遮る。

「駄目駄目駄目駄目! ここは私が話すシーンでしょ」

 鋭く叫ぶ女は目つきも鋭い。ゾナスは言うとおりにする必要はないが黙る。

 ヘカトポリスはゾナスが口をつぐんだ事を確かめてから、目を瞑り額に指を立てて横を向き、大げさに天を仰ぎ空いている手を広げて差し出すように向ける。脚は片足だけ曲げて、腰の上まで深くスリットの入ったスカートから太ももの際どい所まで見えるようにする。

 なぜ表社会のモデルが撮影されるときみたいにポーズを取るのだ。ゾナスはいらっときた。

「はあ。あーあもう! どうしてかしら。今の不意打ちで一人は確実に殺すつもりだったのに。死んでないじゃない」

 ヘカトポリスは広げた手の指先だけを額につけたままゾナスを指の間からぎろりとにらむ。

「ま、車から地面に叩きつけられて、大けがして気絶したからいいわ。意識を取り戻す前にけりをつけないといけないけれど、まあ同じだわ。だってすぐに、もう一人だって殺せるもの。そのあととどめを刺してあげる」

 ヘカトポリスは額から手を離し、その掌をかざしてゾナスに突きつける。

 掌能力者の武器は掌だ。掌を向ける事は銃を突きつける事と同じ。武力を誇示して威嚇し敵対し攻撃するという意志表示に他ならない。

 イヒャルテの掌能力は、触れた物を透過し、それに潜り込む潜入だ。一つの物体と認識する物に潜り込める。同時に二つの物には潜り込めない。

 この物体というのは概念的に一つと認識する物だ。地面なら地面、車なら車。車と地面を一つとは認識出来ないため、同時に両方に潜り込む事は出来ない。

 イヒャルテは車に触れて潜り込んだ。おかげで車が無いかのように、そのまま走る車から落下し地面に叩きつけられた。

 イヒャルテほど鈍くないなら受け身を取って転がり、けがしながらでも立ち上がる事だって出来たかもしれない。しかしイヒャルテは潜るのが遅すぎたしあせりすぎた。受け身も取れず地面に叩きつけられそのまま転がった。

 だから顔や腕が血塗れだし骨折している部分すらある。重傷だ。治癒するまで時間がかかるし、気絶しているので逃げる事も出来ない。

 ゾナスは立ち上がり、地面に横たわるイヒャルテの前に立つ。せめてイヒャルテが自力で動けるなら車で逃げてもらう事も出来るが、ヘカトポリスがイヒャルテに近づかないよう守らねばならない。

 昼間とはいえ交通量が少ない。戦闘なのは見てわかる。人々は遠巻きに見たり、気にせず通り過ぎたりする。裏社会ではいざこざは日常茶飯事で、誰も気にしない。

 運悪く両者相打ちになったりしたら、別の誰かにまとめて賞金首として狩られるかもしれない。だから賞金首が互いを狙うときは路地裏など人目に付かない場所で戦闘するのが常だった。

 なのにこんな表通りで待ち伏せなんて。何もかも異常だ。マナーを守る必要は無いが、自分の安全のためにも人通りのある所で戦闘は避けるものなのに。ヘカトポリスはまったく気にしていないようだ。

「ヘカトポリス。貴様誰に俺たちの情報をもらったんだ」

「何の事かしら?」

 ヘカトポリスは指を揃えてぴんと反らし、腕を左右に広げ大きく肩をすくめる。まるで舞台で演じる女優だ。容姿や服装、指先までの華麗で大げさな動きといい、この女は自分を美しく魅せる事に酔っている。

「ふざけるなよ。俺たちがお前たちを狩りに行くのを知っていて待ち伏せしていた。位置情報を悟られないよう手錠と携帯を妹に預けてまでな」

「たまたま通りかかって手が当たっただけよ」

「そんなわけねえだろ」

 ゾナスがにらむとヘカトポリスは目を細めあごを上向けにんまり笑う。

「おいしい獲物の情報を金で買う事はある。情報屋と取引しているの。だから私を狙う奴の情報は入ってくるし、携帯を持たなくても情報屋を通して私は妹と連絡を取れる」

「情報屋なんか信用しているのか? 信用出来る奴なんかいないだろう。お前が何の情報を買ったかとか、お前の情報もあれこれ売られてしまうんだぞ」

「信用出来る情報屋だっているわよ。もう立ち去ったけど、さっきまであなたたちがこの通りを通過するはずだって情報を直接もらっていたもの」

 ゾナスは裏社会の人間を基本信用していない。しかしクランクランのように多くの顧客を持つ取引相手は、全ての信用と取引を失う危険を犯してまで裏切りをしない。

 損得勘定だけで動く。だから多くの顧客を持つ場合は損得に裏打ちされた利害により信頼する事が出来る。

「……まさかその情報屋、クランクランって名前じゃないだろうな」

「違うわよ」

 とぼけているのか。本当に違うのか。女優みたいに大げさな動きと表情をするせいで読めない。ゾナスは舌打ちする。

「情報屋に連絡させたから、もう手錠と携帯を預けている妹もこっちに向かっているわ。イヒャルテが意識を取り戻すのとどっちが早いかわからないけどどっちでも同じ。戦闘が長引けば私は妹と二人であんたたちを攻撃出来る。私たちは最強の姉妹よ。それを捕獲? 笑えるわね」

「捕獲が任務だからな。殺されないとわかっていての余裕か?」

「まさか。いざとなったら殺すんでしょ。そんなのあてにしていないわ。ただ私の方が強いから余裕なのよ」

「俺の方が強い」

「小さな穴をパチパチ開けるだけでしょ? 能力者の能力はデータベースに載っている。互いの顔も能力もわかっている」

「ああ。お前の能力は融解。触れた物を溶けたように歪め変形出来る。ただし熱は発生しない。溶けた飴みたいに形を変えて遊ぶただのおままごとだ」

「男ってやあねえ。女を見下している。そんな男をぐにゃぐにゃに歪めてプライドまでも歪め潰してあげるのが大好き」

 ゾナスは掌を前にかざす。

「お前の掌能力は接近して触れないと使えない。俺のは遠距離でも攻撃出来る」

「穴を開けながら走らせるんでしょ。そんなの怖くないわ」

「食らってからもそんな事が言えるか」

 ゾナスはしゃがみ、地面に手をつく。

 ズボボボボッと音を立て、掌の前の地面に穴が開く。コイン程度の小さな穴が、小人が歩く足跡のように左右交互に一定間隔で穴を開けながらヘカトポリスに向かって走る。

「遠距離攻撃が出来てもこの距離よ。動きが見える。余裕でかわせるわ」

 ヘカトポリスは薄いスカートを両手で摘まんで、まるで舞踏会で踊るようにひらりくるりと回転しながら優雅にかわす。

 一直線に地面を走る穴が、ヘカトポリスのそばを通過していく。

 ヘカトポリスは踊りながら跳躍し、スカートを翼のように舞わせながらとーんとーんと大きなステップで近づいてくる。

 美しい舞。まるでゆったりして見えるのは、美しさに見とれるからだ。実際はその幻惑よりもはるかに早く近づいてくる。

「早い!」

 ゾナスはもう片手も地面につける。地面に穴を走らせ、ヘカトポリスが着地する位置にちょうど穴が到達するように狙う。

 地面に開けられていく穴が、舞い降りるヘカトポリスのヒールを履いた脚の下にくる。

 このまま着地すれば、地面を這う穴がヘカトポリスの脚を這い上がる。そして脚の先から頭の天辺まで一直線に穴だらけにしてしまえる。

「食らえ!」

 ゾナスが地面に両手をついたまま叫ぶ。

 ヘカトポリスは、地面につく寸前だった脚をひょいと上げる。

「うっ」

 そのまま、空中でくるりと一回転する。

 薄いドレスが舞う。スカートが広がり、いやらしい下着が丸見えになる。

 たしかに、戦闘にこんな大胆な服装で来るのだ。下着を見せるぐらい平気だろう。

 しかしさっきまでの優雅な舞が、仕草が、身振りが、表情が、女優を演じていた。その気品のある女優ならばきっと、下着を見せるようなみっともない動きはしない。

 ゾナスはそんな思い込みをしていたわけではなかった。でも表社会にいた頃に見た映画やテレビの影響で、それは刷り込まれていた。

 ほんのわずかな錯覚。思い込み。それを見せつけ魅了し引き出し陥れる。これが裏社会の女優のあり方だった。

 魅せつけられた優雅な女優ならしないはずの大胆な動き。恥ずかしい下着。それを目にしたゾナスは一瞬の虚を生み出され、そこを突かれる。

 さっきまでの優雅さとは違い、乱暴で力強く脚を振り下ろす。ヘカトポリスは空中で一回転し、そのまま脚を勢いよく振り下ろす事で、その反動で蹴りを繰り出したようにゾナスに急接近する。

「しまっ……」

 地面に両手をついて攻撃していた。そこから手を上げて防御するのが間に合わない。しかも掌能力者は掌がもっとも攻撃力が高く、それで攻撃するのが常だ。掌を警戒する分、脚技への警戒が薄れる。

 長いスカートをはだけ、布地の少ないいやらしい下着を丸出しにしたまま、美しい女優は脚をまっすぐ伸ばしてヒールでゾナスの顔面に蹴りを入れる。

 ヒールが顔にめり込み鼻を折る。衝撃で目の前が一瞬暗くなる。

「うぐっ」

 目がくらんだ一瞬。視界が開けたときにはすでに遅かった。

 前方に一回転し、その勢いで蹴りを出し、脚を限界まで伸ばしてようやくヒールを届かせた。届いた事が驚きであるぐらい距離が離れていたので顔面を蹴り潰すなんて出来はしない。

 ただ鼻をへし折り視界を一瞬血で染めればそれでよかった。裏社会の女優は一瞬の油断、驚き、戸惑い、錯覚、隙を連続して生みながら利用する。

 最初の不意打ちからずっとそうだ。いやらしい格好で目を引き、上品で優雅な動きでいやらしさを意識から追いやってからそれを露骨で下品に見せつける。

 男はいくら警戒しようが女慣れしていようが本能的に女をいやらしくて見とれる欲情対象として見ている。本能が揺さぶられて生み出される一瞬の隙は決して消せない。ヘカトポリスは女として男以上に男の本能を理解し、それを戦闘に組み込んだ。

 だから強い。まっすぐ伸ばしてゾナスの鼻を潰した脚を下へ振り、その反動で身体を無理矢理前方に押し出す。そして今度は手を限界まで伸ばし、ぎりぎり届くようにする。

 掌までは届かない。しかし指先だけで十分。掌能力の発動範囲は掌と指の腹だ。指先だけでも届けば能力は作用する。

 ほんの指先がかろうじて届いただけ。ベッドの中で愛する夫の瞼を閉じさせるように優しい指の一なでで、ゾナスは両の瞼と眼球の表面を溶かされ溝を刻まれてしまった。

posted by 二角レンチ at 07:51| 見えざる掌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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